明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

大暴れして元気になった父を、その勢いのまま?!旅行に連れてってみた~正解!!

こんにちは。tsukkyです。

今日は仕事の帰りに実家の近所に用事があって、行きました。

今は、誰も住んでいない実家に行くのは寂しいですし…人が住んでない家ってだんだん荒れてきますね。。

もともと、母が入院したと同時にその実家もすごいことになってしまうんですが。。。


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 平成26年のゴールデンウィーク

父がショートステイ先で大暴れして?!帰ってきた事件から、別人の様に元気になったので、その年のGWに、私たち夫婦と、両親とで旅行に行く計画をたてました。

両親の故郷、石川県に連れていってあげたからです。

 

父も母も石川県に帰れるというだけで、本当に目が輝き、元気になります。

とにかくそれを目標に!?二人とも元気に暮らしてもらいたいと願っていたのですが、効果てきめんでした。

 

その頃はまだ北陸新幹線が開通していなかったので、往復とも飛行機で行きました。

二人とも杖をつきながらでも、自分の足で空港まで行けたんだなぁ。。とたった数年前の話なのに、不思議な感じがします。。。

飛行機会社(ANA)のサービスも素晴らしく、事前に連絡しておくと、父を車椅子に乗せてくれて席までちゃんと案内してくださいます。

CAの方に車椅子を押してもらい、父も上機嫌でした。

フライト中もなんの問題もなく無事到着。

 

まず和倉温泉

空港からレンタカーを借りて和倉温泉まで向かいます。

宿では、母の喜寿(77歳)のお祝いをしてくれました~♪

翌日は金沢で親戚に会ったり、お墓参りに行ったりと、無事2泊3日の旅を終えました。

 

父の寝たきり状態、ショートステイで大暴れした事件等。。

大変な事があったけど、そんなことがあったから、家族で旅行にでも行ってみるか!!と思えたような気がします。

 

もし二人とも元気でピンピンしていたら、きっとそんな話も持ち掛けなかったかも・・・

皮肉なものですが、両親からのサインだったのかなぁ~とか思うようにしています。

 

介護問題がなかったら、今この年になって、そこまで両親と向き合うことはなかったかも。

そして、それから私と両親との濃密な日々が始まるのです・・・

 

親の介護 ポイント!

親の介護問題がなかったら、ここまで親と向き合うことはなかったと思います。

やはりそれは、親が終焉に向かう前に、私に送ったサインなのではないか?と思うようにしています。

介護って辛いイメージがありますが(実際辛いですが…)最後に親との時間を過ごすように。と神様がくれた時間なのかなぁ~とか思うようにして…

なぜ私だけがこんな目に…などと言うような考えはなるべくしないようにしています。

(時たま思ってしまうこともありますが…^^;)

母の介護認定を審査してもらうも、その時はいつも以上の元気さ!ピンピンさ!なんなんでしょうね。。

こんにちは。tsukkyです。

花冷えと言うより…すっかり冬に逆戻りと言った寒さですね。。
東京は雨も降って、せっかく満開の桜も散ってしまいそうで残念です。

 

今日は父が居酒屋を経営していた時代にお世話になった方から、私の携帯に連絡がありました。

その方も、もうご実家(滋賀県)の方に戻られたのですが、今でも父を気にして下さり、とてもありがたいのです。

今年の初めに東京にいらした時に、前父が入院していた病院にお見舞いに行った際に、すでに転院して会うことができなかったので、連絡をくれたそうです。

今、入所している施設を連絡しておけばよかった。。。

その方もご高齢なのに、申し訳ない気持ちになりました。

 

両親も自分がお世話になった人に、自分のことを伝えようにも、出来ません。。

私がかろうじて知っている方には、こうして連絡を取ることも可能かも知れませんが、親の交友関係までは知る由もなし。。。

そうゆうことを目の当たりにすると、やはり、終活というか…なんというか…そういった準備(エンディングノートなど?)しておくのに越したことはないのかな?と思います。

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ショートステイ先で暴れまくり?!施設からもお手上げ状態で、無理やり帰宅してきた父は、それから数日間、別人の様に元気になり、自分一人で床屋に行くわ、出かけたり…

父にしてみたら、俺を、勝手に老人ホーム的なところに入れやがって!!

まだそんなところの世話にはならない!!

ってな感じの抵抗だったのかもしれません。。

 

私は、アルツハイマー認知症と診断された母のことも心配で、なんとか進行を遅らせることはできないか?いろいろと試行錯誤を繰り返しました。

 

ドクターからも、デイサービスに通った方が良いとのことだったので、介護サービスを受けられるように介護認定を受けました。

 

よくある話ですが…だいたいこの介護認定を審査する方が来ると、「元気はつらつ!」

いつもより、健康体になってしまうのはなんででしょうかね?

 

母にも、介護サービスを受けるには、具合悪そうにして、介護を受けられるようにしないといけないよ~と何度も説明して、本人も「わかってるわよ」と言っていたのに…!

 

人間の性なんでしょうか…?!

 

審査と言われると、なんか良く思われたい。良い結果を出したい。と本能で思ってしまうのでしょうか?

 

当日はぴんぴんとして、審査員の方に言われるとおり、てきぱきと動く動く。。

そんなこともあるかと思い、普段気になる症状を一覧にして、審査員の方に説明しました。 

 

結果はどうなることやら?

その甲斐あってか…?!「要支援1」となり、介護サービスを受けられることとなりました。

 

平成26年4月 

そして地域包括支援センターの人と相談して、父と一緒に運動等(リハビリ)を行うデイサービスに行くことにしました。

父もしぶしぶでしたが、あくまで「リハビリ」と言うことを強調、母と一緒に。と言うことでなんとか行ってくれることになりました。

 

とりあえず、やれやれ…と思ったのもつかの間?!

これからまだまだいろいろな事が起きるのでした。。。

 

親の介護 ポイント!

親の振り見て我が振り直せ?!

親の介護を通じて、自分が高齢になった時は…といろいろ考えさせられることが多くなりました。

親もまさか自分がこんな風になるとは思ってもみなかったことでしょう。

いつまでも元気でいると過信しすぎるのは禁物と思いました。

転ばぬ先の杖。。?!

私には子供がいませんので、世話をしてくれる人もいないし…自分のことは自分でしっかりと考え、出来るだけ誰にも迷惑かけたくないなーと思っています。。

 まず元気なうちに、大切なことは、エンディングノートなどに残しておこうと思ってます。

怒りのパワーが父を元気にさせた?!恐ろしい一夜でさえも妙に嬉しく思った自分がいた…

こんにちは。tsukkyです。

 

今週末は土曜日、日曜日ともお天気が悪くて残念でした。

 せっかくの満開の桜…残念ですね。

花冷えの今日、みなさんはどう過ごしましたか?


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母がアルツハイマー認知症と診断された日の翌日は、父がショートステイから帰ってくる日でした。

母のことも心配でしたが、3泊4日も家を離れていた父の事もとても心配で…

ショートステイから帰って来るなり、癇癪をおこして、母に八つ当たりなどしないだろうか。。?等々…

気が気じゃありませんでした。

 

父が帰って来る予定の頃、母に電話をいれたところ、上機嫌で帰って来たとのこと。

お風呂がとても気持ちよくて、職員の人の対応も良かったと…!

 

あぁ…良かった!!

 

これで今後も順調にショートステイに行ってくれると良いな。

父がいない間、母ものんびり羽をのばせるでしょう。

 

そして2回目のショートステイは1回目とは違う施設を紹介されました。

違う施設なので、最初は家族が付き添わなければいけません。

私は午前中仕事を休んで、施設まで付き添いました。

1回目は個室だったのですが、2回目は2人部屋です。

少し都会なところにあるので、前回ほど広い施設ではなかったのですが、職員の方たちも親切で良い感じの人だったので、大丈夫かなぁ。。と思って、母を実家まで送り仕事に行きました。

 

翌日、仕事帰りに母のところに行き、一緒に買い物&ゆっくり外食などをして帰ると…

施設から電話がかかってきたではありませんかっ!!!

 

電話口で、父が怒って文句を言っていますΣ(゚д゚lll)!!

 

職員の人も、対応しきれないようで、今日は夜遅いので、こちらに泊まるよう、なんとか説得しますが…明日もし対応しきれなかったら、家族の方に迎えに来てもらうことになるかもしれませんと…!!!

 

いったい何があったのでしょう…???

 

こ…怖いよ~~((((;゚Д゚)))))))

 

結局…

やはり施設から兄のところに連絡があり、施設内で杖を振り回して暴れまわるは、手に負えない状況とのこと…

家族全員で迎えに行くことになりました。。。(涙)

 

迷惑をかけたので、菓子折りを持って行くから、自宅で待つように!

と母に伝えたのに、連絡すると家にいない。。。

 

母も心配だったのでしょう。先に施設のある駅まで自力で行ってました…

でもちゃんと人の話は聞いてもらいたい。。(^^;)

 

施設に着くと、怒りのパワーからか?

(怒っているけど)めちゃくちゃ元気な父がそこにいました。。

この間まで寝たきりだった父と、同一人物とは思えません(>_<)

べらんめぇ調子で施設の職員の人に文句を言い放ち、シャキッと自分の足で立って歩いています。。

 

私たち家族は呆気にとられていましたが…

施設の方への暴言等。。。平謝りし、施設を後にしました。。

 

兄は怒って、「自分で帰ると言ったんだから、地下鉄で自分の足で歩いて帰れ!」

 

と…!

 

すると、今まで杖をついてよろよろ歩いていた父が、杖も使わずシャキッと駅まで歩いているではありませんかっ!!!

 

な…なんなんだ?!

 

結局、その日は、家まで自力で歩いて帰りましたよ。

途中母の杖を借りたりはしていましたが…

そして母の作った食事を平らげ、寝てしまいましたとさ。

 

結局なんでそんなに怒ったのか?全くわかりませんでしたが…(^^;)??

 

自分の親でありながら…

なんという人騒がせな爺さん!!

 

家族全員振り回され。。。疲れた。。。

 

ですが…こんな父にをどうしようもなく思う反面…

とてつもなく元気になった事がなんだか嬉しくて…

このまま前のように元気になってくれるのでは…?!

と期待してしまう自分がいるのでした…

 

親の介護 ポイント!

両親の年齢が近いと、同時期にいろいろな問題が起こることが多いかも。。

介護サービスをうまく利用しながら、負担を減らしていきたいものです。。

そうは言っても、私の父のように、一筋縄ではいかぬ場合も多いのが現実。

あるところは割り切って接するのが良いのかもしれません。

そうしないと自分の身が持ちません(^^;)

 

親と言えども、割り切って接することも大切。

物忘れ外来で受診した検査結果がわかり、途方にくれた日…母の優しい表情が切なかった。。

こんにちは。tsukkyです。

東京は桜が満開ですね。

 

今日はリハビリ病院に入院中の母のところへ行ってきました。

元気そうで、いろいろ話してくれました。

桜がきれいだったよ。とスマホで撮った写真を見せると、「ほんと綺麗ね。」

母の実家は石川県の金沢です。東京で撮った桜なんですが…

「やっぱり兼六園の桜はいいわねぇ。」と。。。

私「そうだね。リハビリして歩けるようになったら、金沢にまた行けるよ!」

母「そうね。やっぱり行きたいわね。」

少ししてから…

私「お母さん、今どこにいるかわかる?」

母「わかるわよ。兼六園の中でしょ。」

 

やはり、故郷と言うものは、忘れらないものなのでしょうか。。。

母にとって金沢にいた頃が楽しかったのかなぁ。。

などと…帰り道、考えてしまいましたが。

(単純に、昔の事しか覚えてないからかもしれません…)

 

私がもし将来、母と同じ病気になったとしたら、実家にいた時のことを語るのかなぁ。

それより楽しかったことを覚えてたいなぁ。。


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今から3年前の春…途方に暮れていた私がいました。

 

平成25年の10月に「物忘れ外来」を受診した母。

CTの結果では脳に異常はなかったのですが、認知症テストの結果が思わしくなかったので、脳の血流の検査を受けることにしました。

平成26年の2月まで予約が取れなかったので、最初に受診した日から4か月後に脳の血流検査を受けたのでした。

 

朝早い時間の検査でしたが、前回、検査の時に前泊して散々な目にあったので、早起きして実家に向かいました。

早起きが苦手な私は『なんで私がこんな早くに起きて行かなきゃいけないの。。』と思いながら実家に行ったところ…
事前に、ちゃんと出かける準備をしておくように、伝えたにもかかわらず…!

 

母はパジャマのまま、何も用意していなく…

 

「病院に検査受けに行くって言ったじゃない」と言うと

「行きたくない!!」と言うではありませんかっ!!

私も頭にきてしまい、認知症(のおそれがあるのに)の人に怒ってはいけない、とわかってはいたものの

「何言ってんの!予約したんだから、いかないといけないの!!さっきも伝えたのに何やってんのよ!!」

と怒鳴ってしまいまいた…(^^;)いかんいかん。

 

でも、

つい…誰のためを思って早起きしてやってきたと思ってんのよ!!

 

と思ってしまいます。。。

 

イヤがる母をなんとか宥めて…着替えをし、病院へ出発しました。

検査は無事終了し、検査結果は2月13日にわかるとのこと、その日に合わせて父のショートステイをお願いすることにしました。

 

父は母が出かけるのをイヤがりますし、母もその父を恐れて出かけるのをイヤがります。
母を病院に連れて行くのも一苦労なのです。。

 

2月11日からショートステイに行った父。

始めての利用なので、家族も一緒に施設へ。必要な荷物を準備して、兄と私と母の3人でその施設に行きました。
父はしぶしぶやってきた。と言った感じ。。。

 

私は初めて行く老人ホーム内の雰囲気に少し驚きを感じてしまいました。

父の部屋は個室だったので、部屋にいる時は問題は無さそうでしたが、食事の時は他の高齢者の方たちと同じフロアで食べることになります。

ここにいる高齢者の人たちに比べたら、父はまだまだ元気だな。。。

 

また「オレを年寄り扱いしやがって!」と怒りださなければいいけど…(^^;)

 

なんとか手続きも終わり、父を置いて私たちは近くのファミレスで食事をとりました。

母は「私はあんなところに入るのはイヤだわ。。」なんて言い出します(@ @;)

私もちょっと父にはまだ早い気がするなぁ~と思いました。。


寒い日でした。スカイツリーが近くにある施設でした。
そのスカイツリーをみながら、家族3人、それぞれいろいろな事を思った1日でした。


そして運命の2月13日…

母の認知症(脳の血流)検査結果を聞きに行きました。

「やはりアルツハイマー認知症ですね。」とのこと。。。

その後は「ここまで通うのは大変だと思いますから、自宅近くの診療所へ紹介状を書きます。それを診療所に持って行ってそちらに通って下さい。」

近くの診療所には、脳神経内科はありませんから、薬を処方してくれるだけ。

と言うことなんだな。と言うことがわかりました。

そして、ドクターから「母もデイサービスなどに通った方がいい」とアドバイスをもらったのでした。

 

その日、母は自分の病名がなんだったのか?わからなかったと思います。
私も言う必要はないと思っていました。

 

私は茫然としてしまいました。。。。

 

会計を済ませ、薬を受け取り…
病院のレストランで、一緒に食事をしました。

母は好物の「オムライス」を食べてご機嫌でした。

 

そして、病院の入口に飾ってあった立派な「雛飾り」を見て、とても嬉しそうでした。

その母の横顔を私は生涯忘れることは出来ないと思います。

 

とても優しい顔でした…

 

そして今も、その表情を思い出すと涙がこぼれてしまいます。。。

 


親の介護 ポイント!

母の検査の結果の後。。薬療法になりました。
とくに、次いつ病院に来てください。と言う治療もなし。
地元の病院へバトンタッチ(薬のみ)

認知症の治療はない、と言うのは本当なんだ。。としみじみ思ってしまいました。

私は、認知症に関する本などをたくさん読んで、自分の知識も深めるようにしました。
なにか最善の道があると信じて…

 

 

人生とは。。?人間の寿命とはなんなのだろう…?!いろいろと考えさせられた平成25年…

こんにちは。tsukkyです。

 

自分の親に介護が必要になった時…

そう…本人だけでは、生活が困難になり、誰かしらの介助が必要になった時…

誰に親の介助を頼みますか…?
自分自身が親の面倒を見ますか…?

高齢者の親を持つ者であれば、漠然と考えることもあるかと思います。

 

少し冷たいようではありますが…私自身は早く実家を出たいと思っていたので、これからまた親と同居と言う選択肢は全く考えていませんでした。

 

もちろん、両親の事は心配ですが…

 

父がまだ実家にいた頃。。
仕事帰りに実家に寄ったら、二人とも元気に「ナツメロ特集」のテレビを見ていた…
こんな元気な父を見たのは久しぶりだった。
そして、たまたまこれからの生活について話していた。

 

父「子供らには迷惑はかけたくはないけど…、もし一緒に暮らすとしたら、〇〇〇(←私の名前)のところだろうなぁ~」
母「そうですねぇ~。お兄ちゃんのところには行きたくないねぇ。。」

 

その会話を聞いて「ギョッ!!勝手に決めるな!(@@;)」と思ったけれど…

 

今思えば、これからの生活について両親の意見を聞いたのはそれが最後となってしまいました。。


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両親が仮移転先に引越した平成25年は、私自身にとっても大変な年でした。
自宅の引越しも大変でしたが、職場もフロアを変わることになり、公私ともに引越しに追われてたような(^^;)


それでも、職場に面白い課長がいて、その課長を含め、みんなでカラオケに行ったり、スキーに行ったり楽しめる時間も作っていました。

平成25年の12月のある月曜日…普通に会社に出勤すると、その課長が亡くなったと聞かされます。

えぇ?今週末にみんなでスキーに行く予定なのに、悪い冗談では???

でも、それは冗談でもなんでもなく、本当の事でした。

いわゆる突然死と言うものでした。まだ52歳の若さ。

信じられない思いでしたが、その日から3年以上たっています。

 

その課長の死を思い出すと…人間の寿命ってなんなのかな?って思います。


私の両親は、すでに誰かの介助がないと生きていけない状態ですが、それでも元気に生きています。それでも人生を全うしなければいけません。。。

 

まだ元気でこれからだったのに、終わる人生。。。


施設でお世話にならなければ生活できない人生。。。。

 

なんなんでしょうねぇ。


年も明け、平成26年
母の心労をこれ以上悪化させないよう、実家の環境をなんとかしないといけません。

ケアマネから、費用もあまりかからない老人ホームを紹介してもらい、兄に見学に行ってもらいました。
その頃は、寝たきりと言えど、まだ元気だったので、老人ホームなんてまだ早いのでは…?と、兄も私も躊躇してしまいました。

 

それと同時に老健の申し込みもしました。すぐに空きがあるわけではないので、それまでショートステイを利用することにしました。

 

デイサービスでもあの調子だったのに、泊まりなんて大丈夫だろうか…?!
不安はよぎりますが、今後、施設にお世話になるにしても、すこしずつ慣らしておかないと…?!

 

母の検査もありますし、家を空けることが多くなるので、その期間ショートステイを組むことにしました。

 

どうなることやら…

 

親の介護 ポイント!

介護初期の頃は、老健、老人ホームなどと聞くと、ビビってしまい、まだそんなところへは早いのでは…

親を老人ホームに預けるなんて…

いろいろな思いが駆け巡ります…

転ばぬ先の杖ではありませんが…

老健に申し込みしても、すぐに入所できるわけではないので、いざ入所したい時には時間がかかってしまい、あまり意味をもたなくなってしまいます。

まだ早いのは…?!と思っても、高齢者はちょっとしたことで状態が悪くなることがありますので、早めの対処をおすすめします。

引きこもりなのに、発作が起きると病院には行くという…でも大したことはなく、その発作に振り回される日々でした。。

こんにちは。tsukkyです。

今からさかのぼること4年前…

実家の団地を建て直すことになったので、仮移転先に引越しをした両親。

同じ団地内の引越しでしたが、高齢者には一大事だったのでしょうか。
歩いて行けるくらいの距離。間取りもほとんど同じだったにも関わらず、それを気に両親の様子がどんどん変わっていってしまうのでした。

 

父の引きこもり生活にも拍車がかかり、日中もカーテンを開けず、ふすまにもガムテープなどで目張りまでしだす始末。

引越し前の住居は、ベランダ側が道路、その向こうが小学校だったので、あまり人目を気にすることもなく過ごせたのですが、仮移転先は、向いに住居があり、ベランダ越しに人目があるのが気に入らなかったようです。

もともと神経質なところもあった父ですが、ひょっとしたら認知症の症状も入っていたのかも知れません。
なにか気になると、怒鳴るし、具合が悪くなると(発作のように)病院に行くと。。言って聞きません。

そんな環境におかれていたから…母も認知症になってしまったのかも(涙)


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母からの電話が恐怖でした。

母「お父さんがまた具合が悪くなって…病院に連れて行かないと。。。」

私「今日は日曜日だから病院はやってないよ。明日連れて行ったら?」

母「(後ろから父の怒鳴る声)でもお父さんが病院に行くと言うから。。救急車を呼ばないと。。」

私「やめてーーー救急車だけは呼ばないでー」

母「だって。。。」

 

電話で救急車を呼ぶな。と何度も言ってもダメでした。。
そして救急病院先から電話が来て、私か兄が両親を引き取りに行くと言う…

それでも、その救急病院で入院してくれれば良いのですが、とくに入院するほどではない。と言うことで帰されてしまう始末。。

地元の診療所も、しょっちゅう行くので、迷惑がられ、リハビリに通っていた隣駅の総合病院でも、ちょっとした有名人の老夫婦になっていたようです。
いわゆる「出入禁止」ってやつでしょうか…?!

病院から電話がかかってきて、リハビリ以外では来ないでくださいみたいな。

 

わかってます。。

わかってますけど、両親が理解できないんですよ(涙)


その頃、その「出入禁止」的になってしまった、父がリハビリで通っていた総合病院も建て直し→移転のため休業に。。。


父はリハビリに通う事すらなくなってしまったのです。

 

移転後、その病院は、紹介状がないと診察を受けるのに5,000円くらいかかる立派な病院になってしまい、リハビリも受けられなくなりました。

 

年寄りに優しくない病院。。。(皮肉にも?後に救急でその病院に運ばれてしまうことになるのですが…)

 

とにかくこのままだと、母もおかしくなると思い、それだけは阻止しなければ!

と、父のことをケアマネに相談するのでした。。。


親の介護 ポイント!

病院では、はっきりした治療を施す病気じゃないと、軽く門前払い的な態度をとられてしまうことがありました。。(お忙しいでしょうから仕方ないと思いますが)
親の異変に子供もパニック!!そんな時は包括地域支援センターやケアマネージャーに相談しましょう。

介護する側も何とかしなければと、パニックに陥りがちです。

そこはやはりプロ相談すると、いろいろとアドバイスを頂けます。

家族だけで抱え込まないで、プロに委ねるのは良い事だと思います。

母の物忘れ外来受診&あれほど病院嫌いだった父が、病院に行くわ、行くわ、終いにゃ救急車まで呼び出す始末。

こんにちは。tsukkyです。

今日から新年度ですね。私の勤めている会社でも今日は入社式でした。

フレッシュな新入社員の人たち!これから希望に満ちた人々!!

若いって素晴らしい!!羨ましです~(^^;)


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平成25年10月母を「物忘れ外来」に連れて行く

実家の団地建て替えに伴う、仮移転の引越しも終わったような終わらないような状態でしたが…

とにかく言動が怪しい母を「物忘れ外来」へ連れて行かなければ!と、お茶の水の順天堂医院「脳神経内科」に連れて行きました。

www.juntendo-neurology.com

受診の時間が朝早かったので、前日実家に泊まることにしたのですが、その泊まった日が大変。。。

父はいつも通り、晩酌が止まらず…酔っ払い過ぎて、その場で眠りだし…

それに母はヒステリーを起こすわ。

やっとこさ、父を布団のところへ連れて行き、寝たかと思うと、夜中に母がギャーギャー騒いでいるから、何事かと思ったら…

父が失禁してしまったと…(@ @;)えええええぇぇえ~

 

なんっちゅーこと…

 

まぁ、失禁と言ってもちょろっと、モラした程度だったので、パジャマと下着を着替えさせて…なんとか寝ましたが…

(それから、父の布団に敷く漏れないシーツやら、パンツ型のオムツ等、いろいろ買いました。。)

 

改めて、すごいことになってるなぁ。。。と…

 

そんな父を一人置いて、母と病院に行くのも心配でしたが…

なんとか母を順天堂医院に連れて行きました。

当日は、認知症のテストを受け、脳のCTを取ったり、いろいろな検査をしました。

 

認知症のテストを受けた後、母は「ばっちりだった!」と言ってましたが…

 

その後、先生からの診断では、認知症の疑いが濃いと言われ…(^^;)えぇーー

 

とりあえず、脳のCTでは異常はなしとのことでホッとはしたのですが、脳波の検査もした方が良いといわれたので、そちらの予約をお願いしました。

その検査の予約が取れたのが平成26年の2月なので。4か月も先…(>_<)

 

でも、母と話したりしてると、全然普通だな。と思うことも多く。。

やっぱりCTでも異常なかったんだから、ストレスで物忘れが激しくなっているだけじではないか?とか思ったりもする私でした。。。 

 

父の状態も不安定に

その頃、父の状態も不安定で、あんなに病院嫌いだったのに、何かあると病院に行くー!病院~~と発作がおきます。

 

ちゃんと毎週のように、自宅近くの診療所で見てもらって、薬も処方してもらってますからっ!!

 

母も正常な判断が出来てないので、それに合わせて、いろんな病院に行くわ。救急車は呼ぶわ。。で…

 

もう大変~(@ @;)

 

父はその時、診療所で処方してもらってる薬が山ほどあったのですが、それを朝、昼、晩、寝る前と仕訳をして管理していたのが母だったのです。

(その管理も大変だ。。と愚痴をこぼしていたことがありました)

 

後にわかったことですが…

 

ある日、父の薬の袋(手つかず)が山ほど出てくるのでした…

 

母はもう、父の薬の管理ができなくなっていたようです。

 

父は薬を全然飲んでいなかったから具合が悪くなっていたのでした…

 

親の介護 ポイント!

とにかく、認知症の発見は早ければ早い方が良い!

と言うのは本当だと思いました。。少しでも怪しいことがあったら、早めに「物忘れ外来」を受診することをおすすめします。

発見が早ければ、介護する側の心構えや、これからの対策、いろいろと準備することができます。

そして、認知症の進行を遅らせることも可能だと思います!

 

薬の管理も大切です。

「お薬カレンダー」など、高齢者にもわかりやすいような管理方法を考えて飲み忘れを防ぎましょう~

そうしないと、救急車を毎度呼ぶことになると、そのたびに家族が呼び出され大変なことになります。。。トホホ(涙)