明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

父の日に、父のこれまでを振り返ってみた。

こんにちは。tsukkyです。

今日は父の日でしたね。私はとくに何もしませんでしたし…父に会いにも行けませんでしたが…

父が現在入所している特別養護老人ホームに入る前までにはいろいろな経緯がありました。

 

訪問看護が様子がおかしいと、救急車を呼ぶ → 救急病院に入院

 

救急病院から紹介 → 療養型病院に転院

 

療養型病院から治療が必要ないのでと、有料老人ホームを紹介される。

 

有料老人ホームに入所が決まってから、特別養護老人ホームから空きが出たとお知らせが入るも、面接に来た人が気に入らなかったのか?面接の人の持っていた面接に使う資料をはたいて、印象が悪かったのか?不合格に。

 

そうして、ずっと有料老人ホームにいることになるのかな…?

と思っていたところ…入所して1年くらいがたった時に、別の特別養護老人ホームから空きが出たと連絡がありました。

 

まず私が施設を見学に行って、担当の方からお話を聞きました。

その施設は全室が個室で、とても綺麗で私の自宅からも割と近くにあり、とても良いところでした。

ここに入所が決まったらよいなぁ~と思いましたが、前回のこともあるので、そう期待しないでいました。

 

施設と父の面接には家族は立ち会わなくてよいということだったので、少し心配しましたが、おまかせすることにしました。

担当の方が女性で、可愛い人だったからかなぁ…???

面接は何も問題がなかったらしく(笑) 健康診断の結果もOK。

無事内定をもらうことが出来ました!!パチパチ…

 

せっかく今の老人ホームの方にも良くして頂いて、元気に過ごしていたのに…

少し寂しくはありましたが…

費用の面など… 長い目で考えたら、特別養護老人ホームは良いと思いますし、良い施設でしたので、父にとってはとても良かったと思っています。

 

老人ホームや、特養などに入所させることが、抵抗ある方もいるかも知れません。

私も正直、最初は少し罪悪感みたいなものを感じたこともありました。

 

ただ、自宅で認知症の母が父の介護をしていた時のことを思い出してみると…

あのまま自宅での介護を続けいたら、父はこんなに元気なったとは到底思えないし、あの当時より、はるかに人間らしく、生き生きと生活できています。

 

ですので、プロの人の力を借りることは決して悪いことではないと思うのです。

父は失語症でしゃべることが出来ないので、本当のところはどう思っているか?定かではありません。

 

でも、見た目には、とても顔色も良くなり、本当に元気になりました。

自宅で寝たきりの時は、訪問診療、訪問介護が入っていても、床ずれが出来たり、お風呂になかなか入らなかったので、とても不潔で、肌が乾燥し、ボロボロでした。

 

 それが入院、施設に入所してからは、顔色、肌ツヤも良くなり、乾燥してボロボロだった皮膚も綺麗になりました。

 

私たち身内でも行き届かなかったお世話をして下さり、とても感謝しています。

ですので、老人ホームや特養に入所することが悪いこととは、思えないのです。

 

父には寂しい思いをさせているかも知れませんが・・・

母の転院が無事終わる。特養が空くまで老人ホームへ。もう実家に戻ることもないでしょう(寂)

こんにちは。tsukkyです。

久しぶりのブログです。

私は仕事で秘書をしていますが、お仕えしているボスの退任にあたり、バタバタしていて介護ブログを書く余裕がまったくありませんでした。

退任されるボスのお手伝いもきっちりとしたいし…新たなボスを受け入れる準備もしなくてはならない…まさに一人二役状態で、私の脳みそでは対応しきれない状況でした。。

 その退任されるボスは私より10歳年上ですが、やはりご高齢の親御様がいらっしゃって(ご自身、奥様も)私の介護についても、理解を示してくれて、とても助かりました。

いろいろご迷惑をおかけしたのに、とても心配してくださって、励ましてくれました。

介護をするにあたり、仕事と両立していくには、会社や上司の理解&協力が必要不可欠だと思いました。

私も母の事を思えば(←父のことは思わないのか…?ww)自分が仕事を辞めて、母にもっと寄り添うような生活を送ることで、母の独り暮らしも続けられ、今回の骨折も免れたかもしれない…と思うことが何度もありました。

 

ただ、それでは自分の人生は、母のために生きることになってしまう。と思い「自分の人生」を歩むことを決めました。

自分勝手な娘だと思われるかも知れない。でも私は「自分の人生」を歩んで行きたいと思ったのです。


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 昨日はリハビリ病院に入院していた母が、有料老人ホームに移る日でした。

本当は父の待つ?特養に入所の予定でしたが、少々遠回りすることになりました。

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昨日は朝からバタバタしていました。

まず、有料老人ホームに入所するにあたって、これだけの資料(付箋が貼ってあるところ)に住所書いたり、名前書いたり、ハンコついたり…しなくてはいけません。

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先週は、ボス退任&新任ボスのことで、仕事がてんやわんやの状態で、母の転院の準備がまるでできず…こちらの資料にも目を通す気力がありませんでした。

それを転院の当日にやろうとするもんだから、書き損じるところが多々…(>_<)

時間はないは…でもうたーいへん。

あの書類…もう少し少なくするとか…なんとかなりませんでしょうか。。?

 

そんな感じでバタバタしていたら、お世話になったリハビリ病院さんへ持っていくお菓子を購入するのを忘れて行ってしまいました。痛恨のミス!

そうゆうところは、しっかりしていた母に怒られそうですが…

母はもう自分がどこにいて、今日が何の日かはわかっておらず…怒られはしなかったので、病院の方、お母さん、ごめんなさい。。。と言うことでm(_ _"m)

 

久しぶりにお洋服に着替えて、介護士さんらに「素敵ね!」と言われて照れていました。看護師さん、介護士さんらに見送られて、リハビリ病院を後にしました。

3か月間お世話になりました。ありがとうございます!!

 

そして、サニーライフさんが迎えに来てくれて、無事ホームに到着しました。

特養はいつ空きが出るのかわかりませんが…それまでこちらでお世話になります。

よろしくお願いします。

 

 老人ホームで兄と合流。

手続きを済ませて、今度は父のいる特養へも顔を出してきました。

父は寝ていましたが、「おやつ買ってきたよ!」と声をかけると、パチっ!と目覚め、お土産のプリンと牛乳寒をぺろりと食べてしまいました。

すごい食欲!食べ過ぎちゃう!?

でも食べられるのは元気な証拠ということで!

お母さんが行くまで元気に待っててね!!

 

帰り最寄り駅まで兄に送ってもらいましたが、その車中、実家をどうするか?話しました。

 実家は老朽化が進んだ団地ですが、ようやく建て直し工事が始まり、この秋に新しくなった団地に引っ越す予定でした。

結局、母もリハビリ病院には行ってみたものの、歩けるようになるわけでもなく、独りで生活するのはまず無理ですし、実家に帰ることはもうないでしょう。

新しい団地に引っ越すのはやめることにして、今の家も引き払うことにしました。

 

ほんとあっけないものです。

 

大腿骨を骨折したと聞いた時は、まだ楽観視していた自分がいました。

手術をすれば、よくなる。と…

 

やはり高齢者が足を骨折するというのは、致命的なものだというのがわかりました。

 

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転院とかホーム入所など…

父の事で慣れたかと思ったけれど…

手続き自体は慣れても、精神的には慣れないものです。

 

いろいろ考えると寂しさいっぱい・・

介護に問題なのが、いろいろかかるお金問題…?!親に貯金がなかったら…と考えると…Σ(゚д゚lll)

こんにちは。tsukkyです。

今日から6月ですか。月日がたつのが早すぎて怖いです。。。
今年は年明けすぐ、母が大腿骨を骨折し、手術、入院と…あれよあれよと月日がたってしまいました。


そして今、リハビリ病院に入院中ですが、こちらも入院していられるのが3か月までと期限が決められているので、6/8がその期日となっています。

 

父が現在入所している特養に申込んだところ、連絡をもらい、審査にも合格し、内定まではもらったのですが、5月末くらいには入所できる見込みだったのに、いつ入所できるかめどが立たないとのこと。

老健、またはショートステイできるところを探してもらっていました。

 

老健は6件問い合わせたところ、全滅だったらしく、長期でショートステイできる施設を紹介してもらいましたが、6/24・25だけは満室なので、その2日だけ我が家で預かる等して欲しいとの事でした。

 

我が家に母を泊めることは問題ありませんが…
一泊して、また施設に預けると言うのも、なんとなく心苦しい気もするし。。

今回の話が出た時に、ショートステイで回していくよりは、父が特養に入る前にお世話になった有料老人ホームにお願いできないか?
と、思っていました。

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ホームに問い合わせをすると、2人部屋だったら空きがあるとの事でしたので、こちらにお願いすることにしました。
あの気難しい父が、何事もなく楽しそうに過ごしていたんですよね。。。きっと良くして頂いたのでしょう。
私たちも馴染みのある施設の方が良いと判断しました。

 

父は3人部屋でしたのが、今回は2人部屋…代金がちょっとお高くなりますが、女性ですから必要経費?と言うことで。

 

母は結婚する前も結婚後も働いたことがなく、父が脱サラして居酒屋を経営した時に手伝ったくらいで、国民年金しかもらっておらず…
父の年金も大した金額をもらっているわけではありません。

 

ただ、母が細々と暮らしながら、しっかりと貯金をしてくれてたおかげで、そちらから支払うことができて助かってます。


今回の有料老人ホームの代金を私が支払うか?兄が支払うか?などとなったら、兄弟で揉め事がおきそうです…(;o;)

 

そうゆう金銭的な事も介護には重大な問題となってくると思います。

 

地獄の沙汰も金次第…Σ(゚д゚lll)

 

とは良く言ったもので、まさにその通りですよね。。。

 

私も両親の介護を経て、仕事があるうちは働く!そして、無駄遣いをやめて貯金に勤しむようになりました。。。


今では子供らに頼りっきりの両親ですが、身を持ってそんなことを教えてくれているのかな。と思うのでした。

父のオムツデビューで、「おむつ助成金」なるものがあることを知る。。。

こんにちは。tsukkyです。

父が自宅でほぼ寝たきり状態になり、脳梗塞で救急病院に運ばれる、少し前くらいから…

母が泣きながら電話をかけてくることが多くなりました。。

 

「お父さんが~酔っ払って、自分で立ち上がることもできないから、トイレにも行けなくて失敗して大変だったのよ。。シクシク」

 

私は母の話を聞き、母を宥めながら…その光景を想像するとゾッとしたものです。

 

私もその光景を目の当たりにしたことがあります…(-_-)

母を「物忘れ外来」に連れて行く時、朝が早かったので、実家で前泊させてもらったことがあるのですが…私がウトウトと眠りについた時…母がわめきながら父を怒っていました!!

 

「もう!!また漏らして~!どうしてくれるのよ!!!情けないったらありゃしない…シクシク… シーツ洗うからどいてよ!!」

 

マジか…(ノД`)・゜・。

 

私も泣きたい気持ちでしたが…幸い大したお漏らしではなかったので、パジャマと下着を着替えさせ、事なきを得て再度眠りにつきました。。

 

父親のお漏らし…受け入れたくない現実です。。。

 

ま、その事件から実家で泊まることはしなかった親不孝な娘ではありますが…

 

とりあえず、翌日、トレパンマン的な高齢者用の紙おむつと、防水加工のされたシーツを買いに行きました。

 

布団のシーツを防水シーツに変えて…

母に、お父さんが夜寝る時は、この紙パンツに履き替えさせてね。と伝えました。

 

父は若干パーキンソン病も患っていたので、もともと歩行が困難なのに、夜はアルコールを飲むことをやめられなかったので、トイレに行くのもおぼつかなくなってしまったのです。

 

お酒を飲ませるな!!と、何度母に言ってもダメでした。

父が怒りだすから、その怖さでお酒を買いに行ってしまい、飲ませてしまう。。

 

もうアルコール中毒です。。

それで下の世話までプラスされたら、母は潰れてしまう(>_<)

 

どうしたらよいものか?

 

いろいろ考えました。

最近はノンアルコール飲料もよくできているので、ノンアルコールの酎ハイなどを実家に送って、それを冷やして飲ませるようにしました。

 

最初はなんとなく騙せたのですが…

やっぱりアル中には(もうアル中呼ばわり)アルコールが無いのがわかってしまうらしい…?!

また普通に焼酎を飲んでいるではないですか…!!!


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そんな状況が数か月続いたでしょうか。。。

多少粗相はしたかも知れませんが、狭い団地なので、なんとかトイレまではたどりつき、トイレで粗相。。みたいな?!(ダメじゃん)

その頃、母も大変だったと思います。。。

 

結局、なにもしゃべらなくなってしまった父、ある日そんな父を診た訪問看護師さんが様子がおかしいと、救急病院へ連絡搬送され、入院となりましたが、そこから正式に?!オムツデビューとなりました。

 

 父の場合、救急病院でも男性の介護士の方が付き添えばトイレにも行くことが出来ました。

父本人も、トイレに行ける時は嬉しそうにしていました。

 

ですが、病院は父一人が入院しているわけではないので、そうも毎回付き添ってくれるわけではないので、やはりオムツ生活に…

 

娘としても、この間までちゃんとトイレに行けていたのに…と、やるせない気持ちでしたが、病院や介護の世界では、手間のかからない(オムツを交換するのも大変な手間だと思いますが…)オムツ生活にさせられてしまうのだな。。と思いました。

 

ただ、私は父のオムツを換えることなど出来るわけもなく…(親不孝な娘ですね。)

あの実家の失禁事件の時に一度、下をフキフキしたくらい。。。(それでメゲました)

病院でも、施設でも、介護士の方には、本当にお世話になりっぱなしで、申し訳なく思うだけでした。

 

こんな簡単にオムツデビューすることになるなんて・・・・(ノД`)・゜・。

あの失禁騒ぎの時に、どのオムツを買っていいか…薬局をうろうろして、困り果てた自分。。

 

そんな私でしたが、ケアマネの方から「おむつ助成金」なるものがあると伺い、こちらをすぐ申請したのでした。。。(ちゃっかりもの?!)

www.city.koto.lg.jp

 

お住まいの地域にもきっと同じような助成金があると思います。

オムツ代も馬鹿になりませんので。。。

 

私は、子供がいないので、赤ちゃんのオムツを換えることを体験することもありませんでしたが…

ここにきて、父親のオムツデビュー・・・

複雑な思いはいっぱいですが…あまり深く考えないようにしました。。。

父、療養型病院で落ち着くも…治療が必要ないほど元気になったと、有料老人ホームへ移る!!

こんにちは。tsukkyです。

久しぶりの更新になってしまいました(^^;)

ここ数日間の間にもいろいろとありましたが…現在に至るまでの経過をアップしておかないと、話が前後してしまうので…まず父のことを振り返ってみることにします。


父が脳梗塞で救急病院に搬送され、救急病院から療養型病院へ転院しました。

母の状況もいろいろあったけれども、これで少し落ち着くかな。。
と思っていました。

 

父の病室は結構コロコロ変わったりして…
なにかやらかしてるんじゃないかと、いつも心配していました。

看護師さんに聞くと、病院の都合とのことで、ホッとしたり…

 

勝手にベッドから降りてしまったり、落ちてしまうことがあったので、手足を拘束されてしまいましたが…(^^;)

それが本人もイヤだったみたいで、少し可哀そうではありましたが、病院としては致し方なかったのでしょう。ベッドから落ちてケガするのも心配ですしね。


けれど、ある病室に父も落ち着くことができ、その同室の方の家族がとても良い方たちで、父も私たちも仲良くさせて頂きました。

お見舞いに行くたびに、いろいろとお話をしたり、励ましあったりと、とっても心強かったです。

 

そうして、父の入院生活が1年くらいたった頃でしょうか…

病院で改装工事が行われるようになりました。

 

その時は「あぁ、この病院も結構古い建物だから新しくするのかな?」くらいにしか思っていなかったのですが、改装された病室はなんかハイクオリティな病室で、今の病院の雰囲気となんか違うなぁ~と思ってたんですね。

 

すると、ある日病院の看板が変わり、病院名も変わってしまったのです!!

 

今まで 「両国駅前病院」だったのが

「湘南メディカル記念病院」に変わっていたのです!!

 

1階の受付から、他の階も全面改装工事を行っていました。

 

これは経営者が変わったのだな。。と思いましたが、病院から特に話もありませんでしたし、父が入院する際に、「療養型病床」と言うことで契約書にもサインしたし…
まさか追い出されることはないだろうと思っていました(^^;)

 

すると、ある日病院のソーシャルワーカーさんから連絡がありました。

「○○さんは、入院されてからとても元気になり、もう治療も必要なくなったので、退院をお願いしたいのですが…」と!!

 

あくまで病院が変わったからではなく、「治療をする必要がないから病院にいることが出来ない」と言われてしまいました。

 

確かに、「湘南メディカル記念病院」には現在も「医療型療養病床」は残っているようですし、介護士さんからも父は元気だから、病院にいるより施設に移った方が良いと言われてましたし、同室の家族の方からも同じように言われていました。

www.sbc-hospital.jp

 

そして、ソーシャルワーカーさんから、入院費と同じくらいの費用で入れる有料老人ホームを紹介されたのです。

 

サニーライフ東京

www.sunnylife-group.co.jp

 

病院から話があった日に、すぐ見学に行きました。
なかなか綺麗な施設でしたし、病院より解放感があり、ここなら父も身体を拘束されることもないようですし…お願いすることにしました。

 

特養の審査にも落ちて…ずっと病院にいることになるのかと思ってましたが…
介護には思わぬことが起きるんですよね。。

 

転院の日は、仲良くしてくれた介護士さん、看護師さんがお見送りしてくれいました。

ただ、同室の家族の方はその時間にはいらっしゃらず…お会いできなかったのが心残りでした。今までお世話になったお礼の品をベッドにおいて、病院を後にしました。。。


父も寂しそうにしていましたが…

発車してからは、久しぶりに乗る車が楽しかったのか…?!
窓の景色をジーーーーっと見つめていました。

 

そういえば、こちらの病院に入院してから、外出許可をもらい母と私と父の三人で「新宿御苑」に行ったことがあります。

介護士さんも久しぶりの外出を喜んでくれて、とても楽しくお出かけできました。

 

その時に、介護タクシーにお世話になりました。

ansinkaigo.jp

介護タクシーの存在は、父が救急病院から療養型病院へ移る時に、利用させて頂いた時に知ったのですが、車椅子ごと移動できるすごいタクシーなんです。

 

それから、介護タクシーを利用すること多々…

普通のタクシーより少し割高にはなりますが…運転手の方が、しっかりアシストして下さいますので、とっても助かります!!

 

介護タクシーで新しい施設まで移動…新しい施設の方が出迎えてくれました!!

こちらで馴染めるかどうか…とても心配でしたが…
ケアマネの方が、慣れるまでは誰でも戸惑いますよ。と言って下さいました。

 

父の状況を把握しているのか…大人しい…そしてすでに馴染んでいるかのよう?!

 

頑張れ!!お父さん!!

 

こうして、父の新しい施設での生活が始まったのでした。。。。

GPSが繋ぐ母と私 その2☆ 母が待ち合わせ場所に来ない(>_<)GPSでどこまで追跡できるか!?

こんにちは。tsukkyです。

今日は仕事帰りに母の入院している病院へ、洗濯した下着類を持って行きました。

母は寝たばかりの様でしたが、私がちょっと手を触ったら目をあけて

「あら、来たの~。顔見れて良かったわ。」と言ってくれました^^

少し話をしましたが、眠たそうにしていたので、「もう寝た方が良いよ。また来るからね。」と、声をかけて帰ってきました。

元気そうだったのでよかったです。 

 

GPSを購入して良かった話

kaigo-blog.tsukkymoon.com

 

父が療養型病院に入院している時には、私が母を実家まで迎えに行き、そこから一緒に父の病院まで行ってましたが、仕事が終わってから、実家までの道のりを何往復もするのが大変で…(>_<)


私が、駅から実家までの距離を歩かないですむよう…母に最寄駅までは来てもらい、そこから一緒に病院に行くようにしました。

 

母に「駅まで来れる?わかるかな?」と聞くと「わかるに決まってるでしょ!」と言っってましたが、その言葉を鵜呑みにするのも危険なので…(^^;)


父の面会に行く日は、昼から何度も電話をして、確認を取っていました。

 

遠隔操作と言うのでしょうか。。?!

 

面会に行く日は以下の流れで母を最寄駅まで誘導しました。

1.昼…今日父の病院に行くことを伝える

2.私が会社出る時…今からそちらに向かう。また電話するまで家から出るなと伝える。

3.途中の駅(電車の中)…今から家を出て駅に向かってもらうよう伝える。


それでも駅までちゃんと来るか不安でしたが、もしあまりにも来ないようだったらGPSで探せばなんとかなるだろう。と思っていました。

父の面会へは、このやり方で何事もなく行くことが出来たのです^^


その遠隔操作が上手くできていたので…母と外で待ち合わせすることも出来るかな?

と思い、私がいるところまでバスで来てもらうよう、誘導した事があります。

 

まず、いつも乗っているバスの時間を調べ、母に今家を出て、そのバスに乗るよう伝えました。
私「〇〇」で降りるんだよ。
母「〇〇でしょ!わかってるって!」

こんな会話をしていたので大丈夫だと思っていました。

 

そして、母が乗ってくるはずのバスを待ちました。
多分このバスだろうと思ったバスからは母は降りてきませんでした。

 

あれ?降りるバス停を間違えたのだろうか?


次のバス停には、走れば間に合う距離だったので、大急ぎで走って先回りしました。

でも降りて来ない。。。

 

焦りました。。。どうしたんだろう(@@;)???

 

今のバスの中を見せてもらえば良かった。。。

 

家に電話をしても出ない。。

 

家は出たようです。。

 

あ!そうだ。GPSで探してみよう!

 

すると、ここで降りてと伝えたバス停で降りずに、ずっとそのバスに乗り続けているようでした。

 

終点まで行くのだろうか?!

 

慌てて、タクシーを拾い、そのバスを追いました。

タクシーからも何度もGPSで検索し続けました。。。

終点のバス停についても母の姿は見当たりません。

GPSの位置は、誤差が50m~300mくらいある場合があるとか…?!

 

探せるだろうか…?!

 

辺りは薄暗くなってきました。。。

 

GPSの地図を頼りにバス停から歩けそうなところを探しました。

交番に届けようか…と思った瞬間!!

正面に歩いている母を発見したのです!!(涙)


あぁ…良かった(;o;)

 

この時こそGPSがあって本当に良かったと思いました。


母「あら、〇〇ちゃ~ん!」
私「あー、良かった!!なんで、〇〇で降りなかったのよ~」
母「そんなの知らなかったよ~~(笑)」
私「ごめん。ごめん。私が悪かったね。。でも無事会えてほんと良かったよ。私に会えなかったらどうしようと思ったの?」
母「家に帰るしかないな。って思ったよ。(笑)」←ちゃんと帰れる自信があったのだろうか・・・?

 

その時の母は、特に不安そうにしているでもなく、私に会えたのも、その場所が最初から待ち合わせの時だったかのように普通にしていました。

 

あんなに、降りるバス停を繰り返し、「わかってるわよ!」と言っていた母でしたが…

もうバスに乗った時には忘れてしまっていたのです(;o;)

 

でも、無事で何よりでした。もう外で待ち合わせは絶対しない。。

遠隔操作もしない…(父の面会の時は別)

 

そして母のことを過信しないこと…(少し寂しい感じもしますが…)

 

そう誓った私だったのでした。。

 

 

 

GPSが繋ぐ母と私 その1☆ 思わぬところから母のバッグが届けられる

こんにちは。tsukkyです。

認知症の症状として…よく「徘徊」という言葉を耳にすることがあるかと思います。
私の母はもともと電車や交通機関などに疎く、一人で遠出をするようなことはなかったので、そんな遠くに行ってしまうようなことはないだろう。と、思っていました。

 

ただ、言動がおかしくなったり、鍵を無くしたりすることがあったので、早めにGPSを持たせるようにしました。

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母が出かける時には必ず鍵をかけて出かけると言う、習慣を利用して、GPSはお守り袋に入れ、首から下げられるようにした鍵と一緒につけて、持たせるようにしました。

 

デイサービスに行き始めた頃、デイサービスに行く前日、当日の朝に連絡をしても、買い物に出かけてしまったりして迎えに来た時にいない。などと言うことが良くあったので、そのたびにヤキモキしていました。


GPSを持たせるようになってからは、迎えの方が来た時にいない。と連絡がきても、慌てることなく、GPSで今どこにいるか探すことが出来るのでとても助かりました。

 

母は、買い物に行くことだけは、行くのですが、買ったことを覚えていないので、同じものをいくつも買って来てしまいます。
(その同じものがいくつもあるのも困っていましたが…)
買い物に行くな。と言っても、行ってしまうのも困りものでした。

 

主婦の性とでもいうのでしょうか…?!

 

実家近くの大型スーパーは24時間営業なので、明け方近くに買い物に行ってることも…(@@;)!! 
レシートの時間を見てびっくりしました。
時間の感覚が無くなってますから、そんなこともしばしばあり…

 

このGPSの素晴らしいところは、探す機能だけではなく、万歩計の機能も備わっていて、「カロリーデータ履歴」と言う情報も入手できるところです。
「カロリーデータ履歴」とは、GPSの端末を持って歩いた歩数を時間ごとに、グラフに表示される履歴です。

今いる場所を探すだけではなく、何時に何歩、歩いたと言う記録が残るので、例えばグラフの4時のところに歩数が記録されていれば、その時間、鍵を持ってどこかに出かけたと言うことがわかるのです。


毎日が推理小説に出てくる探偵のような感じでした。

いつでも、GPSのアプリで、母の位置を探している自分がいました。

 

まるでストーカー?!

 

いつの間にか…私、GPS依存症っぽくなっていました。。(つД`)ノ

 

母の居場所がわかるだけで安心できたのです。

 


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母にも、「徘徊」と言うか…どこに行ってたんだろう?!

みたいな出来事が何度かありました。。。

 

ある日、兄のお嫁さん(義姉)から「〇〇警察署から連絡が来て、お母さんのバックを遺失物として預かってるって。」と連絡がありました。

 

まず、なぜお義姉さんから連絡が来たのだろう?!

 

その母のバッグの中に、兄の名刺が入っていたので、警察署の方が兄の職場へ連絡→兄から義姉さんへ連絡し、私に連絡してくれた、と言う流れだったらしいです。

 

バッグの中には現金もあるので、署まで取りに来て欲しいと言うので、行ってみました。

確かに母が小旅行などで使っていたバッグでした。

 

実家の隣駅にあるビルのトイレに置いてあったそうです。

トイレで拾われた日時等を教えてもらい、私なりに推理を働かせてみました。

 

その頃、デイサービスに行ったら、皆さんの手作りの小物入れをもらったと嬉しそうに話していました。
そして、そのお礼をしたい。金沢(母の生まれ育った実家)のデパートに行けば買えるか?等…私に聞いていました。

金沢と言うあたりがちょっと(^^;)???ではありましたが…
私は、それはお礼をしなくても大丈夫だよ。今度どこか行った時に皆さんにお土産を買って持って行こうね。と伝えていました。

 

そのやり取りは、かなり何度も繰り返されていました。。。

 

母は、やはりお礼を買いに行きたくて、隣町まで行ったのではないか…?!
ただ、途中でトイレに行きたくなり、トイレを済ませたら、バッグを持って出るのを忘れてしまった。。。

そして、親切な方が、そのバッグを警察に届けてくれた。

 

私の推理はそんな感じです。

 

◇GPSにも難点が…?!

その頃は猛暑が続く夏でした。

何度か、その「お返し」を買いに行くことをチャレンジしたのでしょうか?!

デイサービスの迎えが行っても、いない。と連絡があり、たまたまGPSの電源が切れていて、母の居場所がわからない時がありました。


隣町に行く途中の道で歩いている母を、「居宅介護支援事業所」の方が見つけてくれて、事なきを得たのですが…。

熱中症とかにならなくて本当に良かったです。

そしてGPSの電源はいつもフルにしておかなければいけません。。。

週に一回くらいは、充電をできる環境および人がいないと、使えないと言うことです(^^;)


「徘徊」と言うと、意味もなくただ、ボーっと、ウロウロしている…みたいなイメージがありますが…そうではなくて、何か目的を持って出かけてるんですよね。


母の場合もそうでした。普段は出歩くのが苦手な母が、デイサービスの皆さんへお礼がしたい一心で、暑い中、買い物に出かけたのです。

その途中で、目的を忘れてしまって迷子になってしまう…!

 

私が、母からお礼がしたい。と言う連絡を受けた後に、一緒に買い物に行っておけば良かったんです。。。(;o;)

私が適当に流してしまったから、母のお礼がしたい!と言う気持ちが消化しきれず、自分で出かけてしまったのです。

少し間違えば大変なことになっていたかも知れません。。猛省

 

この出来事で思ったこと。

◇私が母の病気を軽く思っていたこと。
◇母は昔から、物をもらったりしたら、お返し等をきちんとしないと…と言う律儀な性格でしたが、病気になってもそんなことは忘れてはいなかった!

 

しっかりしている部分と、すっぽりと忘れてしまう部分が入り交ざった認知症初期には、本当に思いも寄らないことが良く起こりました。

 

でも、後になって考えると…母はこんなことがしたかったのかな?

こんなことを思っていたのかな。。と理解できる部分があり、それがなんだか切なかったのです。