明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

父の看取り介護をお願いする。複雑な思いがありますが・・・うまく言葉に言い表せられませんでした。

こんにちは。tsukkyです。

 

もう一週間以上前のことになりますが・・両親が入所している特養から連絡がありました。
父が「てんかん」のような発作を起こし、一時は血圧も200くらいまで上がりましたが、幸い数分で収まったそうです。


翌日はいつもと変わらない様子で過ごしていますが、いつ同じような発作がおきて、大事に至る可能性もあるので、その際は施設で看取りをするか、病院に搬送するか、ご家族の方に決めて欲しい。と言われました。

 

看取り介護の件は、兄とも相談し、延命治療は行わない方針でいます。(それについては賛否両論あると思いますが・・・)
ちゃんとした手続き(書類)を取らないといけないとのことで、有給休暇を取った日に、施設に行きました。

施設に入所する際も、同じような事を確認され、施設で看取りを・・とお願いしたと思うのですが、再度家族の確認を行うのでしょうか。

また書類にサイン、捺印をして看取り介護をお願いしてきました。

 

私は内心複雑な思いがありましたが・・特養の担当の方は、それは淡々と、事務的に説明し、手続きをして下さいました。

 

今までも、病院に入院する際など、同じような手続きをしてきたので、少しは慣れましたが・・

説明を受けていると、父が亡くなるのを前提としての話のような気がして・・

少し寂しくなって来てしまいました。

 

特養の方に、看取り介護をお願いしたからといって、すぐどうのこうの。。となるわけではないんですよね?

そうじゃない方もいらっしゃいましたよね!?

 

と尋ねると、「もちろんです。また元気になられて、看取り介護をはずす場合もありましたよ。」と・・・・

 

それなら安心した。

 

私と兄は、病院に運ばれて、管など入れられて延命治療をしても意識があるのかないのか?わからないような状況になるのであれば、自然な感じで看取った方が良い、と言う考え方です。

 

今まで親の最後を具体的に考えたこともありませんでしたが・・

事務的に届けをすることにより、考えてしまうことに・・・

 

思うことがあって、ブログに書こうと思いましたが・・

うまく言葉では言い表せない感情です。

 

看取り介護をお願いする=延命治療を行わない

 

でも決して、それを冷たいとか、非人間とか思わないでもらいたい。。

 

言葉にすると、なんだか酷い家族のような感じがしますけど。。。

どの程度親孝行できたのか・・・?!心残りが多々あります。

こんにちは。tsukkyです。

実家を引き払ってから、親戚や両親の知人などに、その旨をハガキなどでお知らせした方がよいものか・・
いろいろと考えているうちに、一月がたとうとしています。。

 

そうこうしていたら、石川県(両親の実家)に住んでいる叔母から電話がありました。

父の姉弟・・お姉さんだと思うのですが・・?!


父は複雑な家庭で育ったようで、父方の親戚はどうなっているか?

実はよくわからないんです。。


私が幼い頃は、そのような複雑な家庭環境と言うのを説明してもらうこともなく、誰かのお葬式などがあって田舎に行くと、よく知らない親戚の人らが出てきて、『この人は誰だろう?』と思ったりしたものです。。(^^;)

 

私が大人になってからは、母がよく父の親戚に対しての愚痴をこぼしていたので、父の産みの母は若い頃亡くなって、私の知っている祖母は、後妻だと言う事を知ったのでした。

推測すると・・電話をくれた叔母は、後妻さんの連れ子だったのではないか?と思うのですが・・(それも正解か?実際のところよくわかりません)
今となっては、母に聞いたところで、本当の事か怪しい感じですし・・・

 

その叔母もかなりの高齢だと思うのですが、しっかりした口調で、「○○ちゃん(私の母)に電話しても、使われておりません。となっていたので、どうしたのかな?と思って電話したのよ。」とのこと。


よく母のところに電話をしてくれていたようです。。

叔母に現在の状況を説明し、連絡が出来ていなかったことをお詫びしました。
それなら安心したと言って下さり、実は叔母が見た夢に父が出てきたので、何かあったのではないか?とそれも心配だったと話してくれました。

 

そして、両親そろって一緒の施設に入れたのも、私が親孝行したからだよ。と褒めてくれて・・・正直とても嬉しかったです。

 

両親の介護が必要となってから、現在に至るまであっという間で・・
初めての事ばかりの中、親の介護と言う状況を受け入れながら、自分なりに頑張ってきました。

その事を「よく頑張ったね。」と言ってもらえて、なんだか気持ちが救われた感じです。

 

叔母と話をするのは、20年以上ぶり(もっとかも?!)だったのですが、話が出来て良かったなぁ~と思いました。

 

今思えば・・・
父がまだかろうじて元気だった頃、家族旅行で金沢(両親の実家)と和倉温泉に行きました・・・
母方の親戚には挨拶に行ったものの、父の親戚関係は良くわからないのと、父とケンカして揉めていると母から聞いていたもので、特に会いに行く事は考えなかったのでした。


その揉めていると言う、もう一人の叔母からもよく私のところにハガキが届いたりして、父のことを心配しているようなんです。。

 

その揉めていると言っていた叔母と電話をくれた叔母には、会いに行けば良かった。。
両親が会いたがっていなくても(もうその頃、両親は認知症もあって、誰に会いたい等・・考えられない状態だったのかも)私の方でアポを取ってアレンジすれば良かったな。と・・・

 

仮に揉めていたとしても、もうお互い高齢ですし・・次にいつ会えるかも?わからないようになってしまうのだったら・・これを気に仲直りしてもらえば良かったなぁ・・・と。

 

結局、もう父は旅行に行くことも難しいような状態になってしまいましたし。

 

両親を金沢に連れて行ったことが、自分の中の最高の親孝行だと思っていましたが・・

こうして叔母たちから連絡をもらうと、会わせてあげれば良かったと・・


とても心残りです。。。

母は実は父にとても依存していた・・・!?介護をする立場になって気がついたこと。

こんにちは。tsukkyです。


久しぶりの更新となってしまいました。
母も特養に入所し、少し落ち着いた感じです。母も新しい環境に少し慣れたでしょうか・・・?

 

両親の介護問題に少し携わった自分としては、自分が高齢になった時は大丈夫だろうか?と考えてしまう時があります。
少し前でしたら、自分はそんな事は無関係!大丈夫!などと思っていたりしましたが・・

両親の事を見ていたら、自分の事も心配になってきました。。

私たち夫婦には子供もいませんし、老々夫婦になって身よりもない。。なんて寂しい老後が待っているんだろう。とか今からとても心配になってしまいます。

誰を頼りにしたら良いのかも分かりません。。。

どうしたら元気で老後を暮らせるか・・・

 

はてなブログ、読者ミントさんの記事が心に響きました。

yuuhinooka.hatenadiary.com

「受け身にならない」
と、いったところに大きくうなづいてしまう自分がいました。

 

私の母についても思い当たるフシというか・・・
考えてしまう事がありまして。。

 

母は元々天然なタイプで、私からするとあまり悩みなどないような感じで?
1人でも元気に暮らしていけるタイプなのかな~。などと勝手にイメージしていたのです。

両親に介護が必要となって、私が少し面倒を見ることになってみたら・・
母はひょっとして、ものすごく父に依存していたのではないか?と思ったからです。

 

父ありきの人生。。?!

 

それってめちゃくちゃ受け身だったのではないか・・・?

 

とにかく父が横暴な人でしたから、ケンカになると大変でしたし、母はかなりの苦痛やストレスを感じていたはずだと思っていたのですが、それでも、父が施設に入ると、みるみる元気が無くなり、認知症もあってだと思いますが、「お父さんどこにいったの?」と繰り返し、あんなに嫌いだった人なのに、「いないと寂しいの?」と聞くと「そりゃ、あんな人でもいるだけでいいわよ。独りはさみしいわよ。」と言っていた。。

 

ケンカして父からあまりにひどい言葉を投げかけられて、私に泣いて「もう離婚したい。。あんな人いなくなればいいのに。」と言っていたのに!


父の具合が悪くなり、寝たきり状態の時も、父に怒られるのではないかと、怯えて生活していた母。。

ですから、父が入院→施設に入所し、母1人の生活になったら、さぞかし羽を伸ばして楽しい生活が送れるであろうと思っていたのですが・・・

 

実はそうではなかった・・・?

 

母は女学校を卒業してから、外で働いたこともなく、そのまま父と結婚しましたから、生活の面でも父に頼っていくしかなかったのでしょう。

実は、父に依存しまくりな人生だったのかも知れません。 

 

私も父が施設に入ったので、母にはのんびり生活してもらいたい!!

と思っていたのですが、それは私の勝手な願望だったのかもしれません。。

 

結果、母は大腿骨骨折・・・手術、入院 → 結果 父と同じ特養に入所。。。

あんなに、イヤだ、嫌いだ。言っていた父と再び同じところで生活することになったのですから。

 

やはり切っても切れない「縁」みたいなものがあったのでしょうか?


夫婦って不思議なものですね。

 

これからは、自分の老後についても考えて行きたいと思ってます。。

 

まずはこちらにお参りに行こうかな?・・・(笑)


ぴんころ地蔵|観光ポイント|信州佐久 旅の観光ガイド|長野県佐久市観光協会

こんな暑い日は・・・と心配はいらなくなりました。

こんにちは。tsukkyです。

暑いですねぇ。。。

今日の東京の最高気温37度とか・・・?!

 

は・・・?

 

微熱あります。って感じですけど(>_<)

 

私はどちらかと言うと、エアコン苦手。。というタイプでしたが、ここ最近は
エアコンなくては汗だく・・と言った感じのタイプになりました。。(^^;)

 

昨年の今頃は、母がまだ独り暮らしをしていましたので・・・
デイサービスの無い日などは、エアコンをちゃんと入れてるか?
水分はちゃんととっているか・・等、気が気でありませんでした。

 

どうも、母親世代は、エアコンをつける=電気代がべらぼーにかかる
みたいな図式が出来上がってしまっているらしく・・・
極力エアコンはつけないで、窓を開けたりして過ごしてしまうことが多いようで・・
電話でしつこく、エアコン入れてを繰り返し連絡しました。
1度だけ言っても、認知症の人はすぐ忘れてしまうので・・・(;o;)

 

水分に関しては、私が週1~2回実家に行くときに、スーパーやコンビニで
でポカリスウェット等を買っておき、冷蔵庫にたくさん冷やしておきました。
それも、電話で「ポカリ飲んでね。」と何度も連絡しなくてはいけません。。

 

今年も、母独りで生活していたら、気が気でなかったと思います。

そんなところも、特養に入所出来て本当に良かったなぁ・・・・と思うところです。

施設内の温度設定も、水分補給も適度にしてくれるだろうし、ほんと安心です。。

こんなこともありましたが・・・結果オーライと言うことで。

kaigo-blog.tsukkymoon.com

 

そう考えると、母だけではなく、父のことも安心していられます。


ほんと良かったな。

しみじみ思う今日この頃です。

介護には現金と保険証が必要。これからは肌身離さず持っておくことにしよう。

こんばんは。tsukkyです。

 

こちらのブログは、メインブログの他に介護ブログとして、開設したのですが・・・。

今日メインブログにめちゃくちゃ介護ブログの内容を書いてしまったので、同じ内容を書くのはどうかと思い・・・

そのメインブログのリンク貼り付けますm(_ _"m)すみません。

www.tsukkymoon.com

 

医療機関にかかる時は、保険証がないと実費で支払うことになり、大変ですよね。。

自分もそうゆう経験をしているので、必ずお財布に入れていつも持ち歩いています。

 

ただ、普通は両親の保険証など持ち歩く習慣は今までなかったですからっ!!

 

母が認知症になってからは、私が保険証を預かって、常に持ち歩いていましたけど・・

つい、特養に入所したことで、もう持ち歩かなくても良いかな。と思って、自宅に置いて来た矢先にこれです・・・・

 

そうゆうものなんですよね。。。

 

まだまだ勉強になることが多いです。

 

特養に入所したから、家族の責任が無くなるわけではなかった・・・

 

そう、両親も自分もこれからまた歳をとっていくわけだから・・・

本当に実家とお別れをしました。寂しい寂しい1日。。私一人が悲しいのなら良いのだけど。

こんにちは。tsukkyです。

先日、特養の方から『父の健康診断の結果、気になる点がいくつかあるので、平日に主治医からお話を聞いて頂けますか?』と、連絡がありました。

今日は仕事を休む予定だったので、その父の健診の結果を聞きに行くのと、実家関連の最後の手続きに行って来ました。

 

実家(都営団地)を返還するのに、必要な書類を揃えて提出しなければならないため、役所関係の届けもしないといけません。。。

 

まず、住民票転居届けを出しに区役所の出張所へ。

これには、代理人が提出しに行くわけですから、委任状が必要となります。

無事、転居届の手続き完了!

その時にマイナンバーの通知カードも必要になるかと思って、準備して行ったら、両親のではなく、自分らの通知カードを持っていくという失態・・・(^^;)

 

結果、転居届の手続きには、マイナンバー(通知カード)は必要ありませんでした。

マイナンバーは住所が変わっても、番号は変更しないため、住所を変更するには、また別途マイナンバーの住所変更と言う書類を提出するそうです。

今日は通知カードを忘れてしまったため、それらの手続きは出来ませんでした。

 

転居届が完了したので、実家の返還に必要な住民票を発行してもらうことに。

こちらも、代理の者が受け取るには、委任状が必要です。

 

住民票も無事ゲット!!

 

無事お役所関係の手続きは完了いたしました。。ホッ。

 

それから父の主治医の話を聞きに、特別養護老人ホームへ。

特養の隣に、病院があり、そこのドクターに診てもらっているようです。

健康診断の結果、レントゲンで肺に白い影が映っているのと、検査結果の数値から、食事をしっかりとっていても、栄養が吸収しにくくなっているとのこと。。。

レントゲンの白い影も気にはなりますが、再検査しても、手術やら、治療やら・・それに耐えられる体力もなさそうですし・・・

 

今は、本人いたって元気にしてますので、今回は特に検査等をしないで、様子をみる方針でお伝えしました。

 

その後、両親のところに1時間ほどいて、2人とも元気そうだったので、実家の最終チェックとご近所さんへのご挨拶へ行くことにしました。

 

実家の片付けは業者さんがきれいにしてくれましたが、少し残っていた物があったので、それらを持ち帰り、すべての鍵と必要書類を送付いたしました。

 

これで、受理されれば、実家の返還手続きは完了です。

 

もう実家に来ることもなくなるなぁ。。と思い、私が小さい頃からお世話になったご近所の方々に、菓子折りを持ってご挨拶に行きました。

 

とても久しぶりにお会いする方もいました。でも小さい頃からお世話になったので、とても懐かしかったです。。。

両親のことをお伝えし、今までのお礼を伝えてご挨拶してきました。

 

郵便物の転居届け、水道・電気・電話の解約手続きも済ませて、これで実家関係の事はだいたい終わりを告げました。

 

上記の手続きはすべて、WEB上で行えました。

 

便利な世の中です。

 

ただ、もう実家が無くなってしまった。。と思うと、とても寂しい気持ちでいっぱいです。

実家で両親と一緒に生活をしていた時は、こんな家、早く出たい!と思っていたけれど、無くなったら無くなったで、こんな寂しい思いをするとは・・・・!!

 

まだ母が独りで生活していた時、心配で、毎週1~2回程、仕事帰りに実家に通っていたのも、思い出すと、とても切ない。。。

あんな日はもうないのだな。と思ったら、胸が締め付けられるように切ないです。

 

人間って勝手なものですね。あの時は疲れた。疲れた。言っていたのに。。。

 

今日は私一人で、車で移動していたから、車で聞いた音楽がどれも切なく感じて・・・

とても苦しかった(;o;)

 

2017年、母が大腿骨を骨折したことにより、目まぐるしく両親の人生、私の人生をも?変わってしまった。。。

 

今日、両親の元気な姿を、特養で確認してきて・・・

「これで良かったんだ。」と思った。

そう実感したのに、どうしてこんなに悲しいの。。。

 

ただ、この悲しさは、私一人が感じていることであって、母はきっと何も感じてないと思う。最近の事はほとんど覚えていないのだから。。。

 

だから良かったと思う。

 

母の病気は辛かったけれど、こんな時、認知症も悪くないかな。って思える。

 

そう思うんだけどとても切ない。こうしてブログを書いていても涙が出てくる。。。

 

なんだか、事務的に処理しきれない思いがいっぱい。寂しい1日でした。

片付けや廃棄処理は第三者の力を借りて正解。私情が邪魔をして片付けにならないと思うから。

こんにちは。tsukkyです。

今日で7月も終わりですね。
実家を今月いっぱいで引き払うことにし、廃棄作業は業者に委託しました。
7/29(土)に兄と実家に行ってみましたが、すっかり物は無くなり・・・業者の方がしっかりと廃棄作業をして下さってました。
なんだか寂しい限りですが、いつまでもしんみりとしていても、どうかと思うので、荷物の事は忘れて、前向きに考えていきたいと思います!

 

実家の片付けや、廃棄処理など・・・本来ならば家族がやるものなのでしょうが、ネズミ王国になってしまったため、あまりの不衛生さに、作業するのもはばかってしまい、結局全部捨てとなってしまったため、それもあって、業者に委託しました。

 

結果・・・業者に委託をして本当に良かった。。と思いました。

 

本当は私自身自分で整理、片付けもやりたかったのですが・・・この短期間であそこまで綺麗に全部捨てることが出来たかと言うと、絶対無理だったな。と思います。
それは、やはり両親の物にも想い出があり、感情が入ってしまうと、処分するのに、ものすごい時間がかかってしまっただろうな。と思うので。

 

少し冷たいような感じもしますが・・・他人にお任せするのがやはり1番だったのかな、と。


東京都への返還手続きも終わったら、もう実家に行くことも無くなりますし、その建物自体も、建て直し工事が始まるので、綺麗さっぱり実家の家屋は無くなります。。。

あっけないですね~~

 

毎週父のお見舞いに母を連れて行ってたり、母の病院にお見舞いに行ってた頃を思うと、自分の負担は減ったので良かったのですが・・・

 

手放しで喜べないと言うか。。なんか複雑な心境です。今は。。。


心が落ち着くまで?!少し時間が必要かも知れませんね。

 

今は実家の返還処理が無事に終わることを祈って・・・!