明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

母の誕生日に思う。。。母には2つの人生があった

こんにちは。tsukkyです。


今日は母の誕生日。。82歳になりました。
今週末は施設に面会に行ってあげよう。誕生日プレゼントなにか持って・・・
お菓子が好きだからお菓子が良いかな?

 

ぶっちゃけ、母がこんなに長い気するとは思いませんでしたww
父なら長生きするだろうな。と思ってはいましたが・・

母は父と結婚したおかげで、相当苦労したと思うし、ストレスをかかえていたと思うし、元々体が弱そうなイメージだったんですよね。。
でも、実は以外と丈夫でしたww
ただ、やはりストレスとか精神面の事が大きかったからか?認知症にはなってしまいましたけど・・・

 

認知症と診断された時は、それはそれは辛かった。。。
母自身も気がついていたみたいで、苦しんではいたけれど、それもいつか忘れてしまったでしょう。

 

辛かったけど・・今となっては、良かったのではないかと思っています。


体も心も元気で長生き出来ていたのなら良いけれど、骨折してから車椅子生活。。1人で生活も出来ず、人の手を借りて生きていかなくてはならないのだったら、全てを忘れて違う世界で生きた方が楽なように思えるからです。

 

楽しかった良い想い出も忘れてしまったかも知れないけれど、病気の事や、父や親せきとのいざこざ、苦しかった日々も忘れ・・


まるで違う世界で生きる。。

 

母にとっては良かったことだと思うようにしています。

もともと、人付き合いも苦手で、父だけを頼りにして、生まれ故郷から東京に着いてきて・・
友達もいなかった。。
結果父に依存して生きていたような人生。。
父に先立たれて、うまく1人で暮らしていけたかな・・・・?

 

認知症になってから、通い始めたデイサービスでは、私が知らなかった母の一面を知らされ驚いたりもしました。
デイサービスのスタッフさんが言うには、母はとても「社交的」だとおっしゃるのです。

 

友達もいなかったのに・・・?!

 

それは、母は元々持っていた性格が表れたのか?認知症になったから表れたのか?
わかりません。。。

 

でも、そこから母は第二の人生を歩み始めたんだと思います。

そして、今完全に違う世界の中で生きています。

 

私の良く知っている母とは別に・・・・

二つの人生を生きられて良かったと言うことで・・・

高齢者の5年間は何があってもおかしくない!たった5年でこれだけの変化。。

こんにちは。tsukkyです。

 

先日、家の整理をしていたら・・・
私の両親と旦那と私とで、金沢へ旅行へ行った写真が出てきました。。
日付をみると2014年の5月。。。

金沢は両親の故郷。まだ元気なうちに、故郷に連れて行ってあげたいと思って企画しました。

 

この頃から父は家ではほとんど寝たきりで、歩くのもやっと。みたいな状態だったけど・・。
旅行中はしっかり自分の足で歩いてたし、びっくりするほど元気になった!!

 

あぁ、これが生きる活力か!


母も今思えば、認知症の初期症状みたいな危うさがいっぱいあった。

でも、なんとか旅行に行けて本当に良かった。

結果・・父はこれが最後の金沢旅行となってしまったのですが。。(涙)

たった5年前なのに。。このころは二人とも元気だったなぁ。

 

母も元気と言えば元気ですが・・。意思疎通がはかれているような?いないような…?感じですし・・・
あ、やっぱり意思疎通とれてないか。

 

あの頃の母ではない。。

 

父も旅行に行った後から、具合が悪くなり・・・病院→施設をいくつも転々とし。。。
3年後に他界しました。

 

う~ん。

 

元気な人は元気なんでしょうが・・・

なんともあっけない幕引きでした。

 

高齢者はどう転ぶか本当にわからない。。。

たった5年で両親の人生は目まぐるしい展開を迎えてしまうのですから。

看取り介護に同意すること、自分が非情な人間ではないかと、複雑な思いを感じた。

こんにちは。tsukkyです。

 

私の日常の中で、介護に関することは、ほとんど無くなり・・平穏な日々を過ごしています。
そんな生活の中でも、ふと「母の面会に行かなくては」とか「あの頃はあぁだったなぁ。。」と両親に関していろいろ思い出すことは多々ありますけれど。。。

 

先日自分の終焉についての記事を書いたりしましたが。。

父が亡くなる時のイメージが、私が思い描いていたものとは随分違っていたからかも。。。


まず、父が亡くなる時、そばにいてあげられることはできませんでした。

よくドラマなどで、「お父さんが危篤です。すぐ来て下さい!」
みたいな、連絡もありませんでしたし、そんな父にすがって「お父さーん(涙)」みたいなのもなかった。

 

亡くなる数日前に「あまり食事をとらなくなった。」とは連絡が来たので、その週末に会いに行こうかと思ってました。
そしたら、数日後の朝「父が息をしていない。」と連絡がきたのでした。

 

息をしていない=すでに他界していた。


そんな状況で。。。

あぁ、父の最期はそんな感じで終わったのであった。。。

 

元々、特養とは、父の「延命治療は無し」で、最善の事はするけれど、基本的に自然に最後を看取るという。「看取り介護」に同意していましたし、兄も私もそれを理解していました。

ただ、父が最初に施設に入った時、「看取り介護」の説明をされた時は、どう答えて良いのか、オロオロした記憶があります。

 

兄はドライな感じで「延命治療は無しで」を繰り返していました。

 

まぁ、確かに無理に機械をつけて延命をしてもなぁ。。とは思ったので、納得したものの・・

若干複雑な気持ちがあったのも事実です。


療養型病院に入院していた時も・・・


特養にいた時も・・

 

死ぬまでの間ここにいてください。的な感じが拭えなかったからです。

 

だからと言って、自分たちの家に呼ぶことも出来ない。。

そんな非情な人間であったから、後ろめたいような複雑な思いもあったのかも知れません。

 

介護問題は、実際に世話をする大変さもしかり。。
そういった高齢者を抱えることによって、世話をするべき人が考える複雑な思い・・・
そんな精神的なダメージ?も大きいと思うんです。。

自分の終焉についてのイメージ、どういった最後を迎えたいか、今のうちから考えても悪くない。

こんにちは。tsukkyです。

 

介護について、どんなイメージを持っていますか?

 

私自身・・自分の両親に介護が必要になることなど考えもしていませんでした。
父親はある時から、かなり弱ってきて、「大丈夫かな?」とは思っていましたが、全て母まかせでした。

 

自分の親=自分よりしっかりしていて当たり前。

 

親の事は私が関知することではない。

と言う気持ちでいました。

 

そんな気持ちのまま、介護についてなんの心構えもないまま、あれよあれよと両親共、老いて行ってしまったような気がします。

 

最近、私の勤務している職場でも「介護セミナー」と言うものが開催されたり、世の中的にもやっと「介護について」真剣に考えるようになったのかな。と思います。

 

私もいろいろ独学で勉強したりしましたが、もっと知識があれば良かった。
っていうか、両親自身がもっと自分の老後について、考えていて欲しかった。とも思いました。

それなりに、老後に不安もあったとは思いますが・・・
どこか、子供らがいるから大丈夫、と思っていたのではないでしょうか???

 

みんなどこか、「介護」「老後」について他人事。

自分はそうならない。自分だけは大丈夫。といった、希望的観測的な思い込みがあるような気がする?

 

私は両親が老いていく姿を目の当たりにし、自分の老後について本当に真剣に考えるようになりました。


私たち夫婦には子供がいない。
そんな人達が老後や最後を迎える時はどうなってしまうのだろう??

 

とても不安。。


私が両親にしてあげた事を、誰がしてくれるのだろう??

 

私が歳を取ったら、旦那も歳を取る。老老介護

 

考えただけでも、お。。恐ろしい。

 

私は本当に、自分の意識がしっかりしている間に、自分の終焉の場所を決めたい。

 

何をそんなこと、早くから考えてるの?とみな口をそろえて笑う。

 

いやいや、月日はあっと言う間に過ぎてしまうんですよ。


元気なうちに、考えておきたい。

 

明日は我が身。

 

本当にきちんと考えよう。

親が他界、施設に入ったり・・介護が落ち着くと家族の絆も薄れていくのか・・・?!

こんにちは。tsukkyです。

 

随分久しぶりの更新となってしまい・・・
気がつけば年も明けて、2019年となっていました。
今年もよろしくお願いいたします。

 

父が他界してから、早いもので1年以上たち、
母も特別養護老人ホームに入所してから1年以上たちました。


月日だけはどんどん過ぎて行きます。

 

ブログを更新する頻度が少なくなったのも、介護に関して落ち着いた日々を過ごしているからだと思います。
ただ、落ち着いた反面、時に寂しい気持ちになってしまう事があります。

 

毎年、年末年始は実家で兄家族と私たち家族で集まっていました。
父が入院→施設に入ってからは、父抜きで集まったり、我が家で集まったりしました。
昨年のお正月は喪中でしたが、兄夫婦(子供は来ない)と私たち夫婦で母の施設に、面会に行きました。

 

今年は、兄から何の打診もなかったので、私の方からも何も提案しませんでした。

 

姪っ子にお年玉・・・!?とも思ったのですが、姪っ子は高校生で部活やいろいろな事に忙しいみたいで、遊びに来ることもなく。

本人が来ないのに、お年玉を用意するのもなんだし、わざわざこちらから連絡するのもなぁ~。と思っていたり。

 

とりあえず、兄から元旦にLINEは来ましたが、会おうとも何とも言わないので、そのLINEに返信だけしておきました。

 

私たち夫婦は、一応母のところに面会に行って、施設の方にお年賀を渡してきました。

 

お年玉を取られなくてよかったけれど(笑)
なんとも寂しいお正月となりました。

 

こうして、介護問題は落ち着いては来ましたが、それによって、家族の繋がりなども薄れて行くようです。
そんなことを思って、少し寂しい気持ちになりました。

我が家には子供もいないから特にそんな風に感じるのかもですね?


昨日は、母の面会に行ってきました。
正月以来だったので、私の事覚えてるか?少し不安でしたが・・(^_^;)
私のことはわかったようでホッとしました。
施設の人からも、「食事も全部食べますし、とっても元気です。」と伝えられ・・

 

良かった。と思いました。

 

父のお墓参りも最近(寒くて・・)行ってないなぁ~と、思いつつ・・・
私だけじゃなく、父も寂しい思いをしているかも知れませんね。。。(お父さんごめん)

DINKSの老後について考える

こんにちは。tsukkyです。

 

気がつけば・・・今年も残りあと1か月となってしまいました。
月日がたつのは本当に早いものです。

 

父の一周忌が終わり、母も特養で元気に暮らしている。。。
私の介護問題はひと段落しました。

 

このブログは自分の中での備忘録、両親との最後の想い出?
これから介護に携わる方などに、私のブログがお役にたってくれれば、と言う思いから始めました。
更新する頻度は少なくなってしまいましたが、これからも何か思うことがあれば更新したいと思っています。

 

母の認知症の症状が出て、どうしたら良いか?悩んでいる時に、介護の掲示板で悩みを相談してアドバイス頂けてとても助かりました。
その掲示板を読んでいると・・・

 

「両親が亡くなり・・親の介護が無くなったら、無くなったで、次は自分の番か。と思うと空しい。」

 

と言ったような書き込みがあって、ずっと心に残っています。。

 

私も今、それに近いような気持ちです。

 

両親の介護で、現実をつきつけられたからか?
妙に今後の生活に不安というか、焦りのようなものを感じます。
自分の老後のことを考え過ぎてしまい?あまり今を楽しめてないような気持ちさえします。

表面的には、いろんな事をして楽しんではいるんですよ。

でも、昔ほど、情熱を持って打ち込めなくなった・・というか。
妙に冷めているというか。。。。

 

それは、50代くらいになった人間ならば誰しもが感じることなのでしょうか。

 

何だろう?こんなに早く自分の老後が来るとは思わなかったからでしょうね。
そんな心配をしていると、周りの人からは「まだ早いんじゃない?」と、口をそろえて言われますが・・

自分の両親を見ていると、両親だってそんな風に思っていたから、あんな風になってしまったんだ。と、深く思います。

 

ほんと、介護が必要になるまでに、両親も時間はかからなかった。。
ほんの2、3年前までは元気だった。旅行だって一緒に行けたのに・・


それからあれよ、あれよと病院や施設をたらい回しにされて・・・現在に至る。でしたから。

 

ただ、両親の場合は私や兄がいたから、まだ良かったと思う。
自分で計画は出来なかったけれど、自分たちで分からなくなってからは、私たちがなんとかしてきた。

 

私は旦那はいるけれど、子供はいない。。
そうDINKSの場合は、どんな老後が待っているのだろう。。
今のうちから何でも決めておかないと、介護が必要な時になってしまってからでは、遅いと思う。

 

転ばぬ先の杖。大切。

 

まぁ、人生なんてなるようにしかならないし、いきあたりばったりでも良いとは思うけれど・・

 

せっかく、介護を体験し、両親というお手本?があったのだから・・
学習しないのは、馬鹿と言うもの。

・年金はどれくらいもらえるのか?
・老後資金はどれくらいあったら良いのか?
・今、住んでいる家はどうしたら良いのか?
・老人ホームを決めるのはいつからが良いのか?

 

いろいろと、知っておきたい・・考えておかなければいけないことが山積みです。

 

これからは、両親の介護と言うより自分の老後について書いていくことになりそうです。。ww

父の一周忌の法要を済ませました。~介護って家族の繋がりにに結びつく?!

こんにちは。tsukkyです。

 

昨日は、兄夫婦とウチら夫婦の4人で父の一周忌的な集まりをしました。
まずはお墓参りをして、食事をし、その後みんなで母の面会に行きました。

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こうして会うのは、納骨式以来なので、約半年ぶりくらいでしょうか。。。

兄がいて良かったと思いますが・・
母が施設に入ってからは、年末年始も集まらないので、兄妹でもあまり会わなくなりました。

これで母もいなくなったら・・・
連絡すら取ることもない?みたいになってしまいそうですね。。

 

介護していた時期は、大変だったし、兄にも不満がいっぱいでしたが、そんな不満をぶつけられ、一緒にいろいろな問題を考えたりした次期は、私たち兄妹にとっては、頻繁に連絡を取り合った良い時期だったのかも知れません。。

 

そう思うと、介護と言うのは、ある意味家族の繋がりや、家族の意味を考えさせられる問題でもあるような気がします?

新しく建てたお墓には、私たちもそのうち入る予定ですが、兄に「お兄ちゃんはどこのお墓に入るの?」と聞いてみましたが・・ちゃんとした答えはありませんでした。

 

良かったら一緒にどうぞ。と前から言っていますが、他にあてがあるのかも知れない・・・

まぁ、奥さんも娘もいることですし、私が心配することではありませんが、私は自分の「終活」しっかりやっとかないとな。。
とは思ってます。

日々の忙しさにかまけて、まるで進んでいませんが・・
残った人に迷惑かけないよう、50代、まだまだ元気なうちに、いろいろと片付けていきたいと思ってます。

 

その話を友達らに話すと、「まだ若いよ!!」などと口をそろえて言われますが・・
気がついた時、やりたい時が活動する時ではないかな~?と思います。

必要ないと思っていたら、やらなくても良いわけですし。。

 

でも、転ばぬ先の杖?防災対策と同じような感じだと思っています。あれ?ちょっと違うか?