明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

看取り介護に同意すること、自分が非情な人間ではないかと、複雑な思いを感じた。


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こんにちは。tsukkyです。

 

私の日常の中で、介護に関することは、ほとんど無くなり・・平穏な日々を過ごしています。
そんな生活の中でも、ふと「母の面会に行かなくては」とか「あの頃はあぁだったなぁ。。」と両親に関していろいろ思い出すことは多々ありますけれど。。。

 

先日自分の終焉についての記事を書いたりしましたが。。

父が亡くなる時のイメージが、私が思い描いていたものとは随分違っていたからかも。。。


まず、父が亡くなる時、そばにいてあげられることはできませんでした。

よくドラマなどで、「お父さんが危篤です。すぐ来て下さい!」
みたいな、連絡もありませんでしたし、そんな父にすがって「お父さーん(涙)」みたいなのもなかった。

 

亡くなる数日前に「あまり食事をとらなくなった。」とは連絡が来たので、その週末に会いに行こうかと思ってました。
そしたら、数日後の朝「父が息をしていない。」と連絡がきたのでした。

 

息をしていない=すでに他界していた。


そんな状況で。。。

あぁ、父の最期はそんな感じで終わったのであった。。。

 

元々、特養とは、父の「延命治療は無し」で、最善の事はするけれど、基本的に自然に最後を看取るという。「看取り介護」に同意していましたし、兄も私もそれを理解していました。

ただ、父が最初に施設に入った時、「看取り介護」の説明をされた時は、どう答えて良いのか、オロオロした記憶があります。

 

兄はドライな感じで「延命治療は無しで」を繰り返していました。

 

まぁ、確かに無理に機械をつけて延命をしてもなぁ。。とは思ったので、納得したものの・・

若干複雑な気持ちがあったのも事実です。


療養型病院に入院していた時も・・・


特養にいた時も・・

 

死ぬまでの間ここにいてください。的な感じが拭えなかったからです。

 

だからと言って、自分たちの家に呼ぶことも出来ない。。

そんな非情な人間であったから、後ろめたいような複雑な思いもあったのかも知れません。

 

介護問題は、実際に世話をする大変さもしかり。。
そういった高齢者を抱えることによって、世話をするべき人が考える複雑な思い・・・
そんな精神的なダメージ?も大きいと思うんです。。