明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

音楽葬という家族葬

こんにちは。tsukkyです。

 

とうとう、葬儀の日の当日となりました。。。

葬儀は家族葬。。。そう、お通夜はやらずに、告別式だけ。コロナ禍の影響もあるので、参列者は本当に家族だけ。
兄夫婦とその娘、私たち夫婦と、旦那のお義父さんの6名だけ。


さみし~~(´;ω;`)ウゥゥ

 

と、思ったのは、私だけ??


だからと言って、遠い親戚や、あまり交流のない親戚、母の近所に住んでた人に声をかけたりしたら、それはそれで、迷惑かな。。とか。。
身内だからさみしいと思うのであって、家族で心を込めた式を行って、母を送り出してあげるので良いのかな。。と思うようにした。


遺影はまだ元気だった時に、一緒に行った美容院後、お茶した時に撮った写真。頭上が切れていたけれど、うまく加工してくれました。
お花もとても豪華に飾られて、母も綺麗にお化粧され、美しい。。!!

父の時は、お坊さんを頼んだけど、その宗派がよくわからず、葬儀屋さんの言うままに頼んだけど、なんか「本当にこれでよいの?!」ってなお経だったし。。
もともと、ウチは無宗教だったから、どうだろう??と悩んでいたら。。
葬儀屋さんからお坊さんは頼まず、自由葬にしたら良いのでは?との提案が・・・!

それは良いアイデア!!
お母さんの好きだった音楽をかけながら忍ぶ「音楽葬」というのにした。

音楽は「愛情物語」という映画音楽「カーメンキャバレロ」が演奏しているピアノ曲
ショパンの名曲をアレンジしてるんだけど、とても素敵。。私も好きな曲たち。
母に自分のピアノでちゃんと弾いて聞かせることはできなかったから。。(←ピアノ下手すぎて)最後は良い音楽で送りたいね。

 



司会の方と打ち合わせして、兄と私から「送る言葉」を述べることになった・・!
当日言われても・・・と焦ったが。。6名しかいないから、緊張することもないか~(^^;)

先日も紹介したけれど、浦安市の斎場は設備が整っていて、(それなのに安い!)とても良かった。

sai-jyo.net

お式をあげた会場から、控室も充実していて、浦安市民だとかなり割引があり、お得です。
近所に住んでいる知り合いがいたらおすすめしたい。
ただ、あまり葬儀屋さんとか斎場をぜひ使ってみて!と、言う状況って・・・?!はい。あまりないですし
あるのはビミョーですよね。。。

飾り付けもこの通り、とても素敵に。

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この写真を撮り忘れて、かなりショックを受けていたけれど・・あとで葬儀屋さんが持ってきてくれた!
とても素敵なサービスだし、これも含めた葬儀代だったことがとてもうれしい!!

 

式の方は司会の方が上手に進行してくださり初七日の法要もかねて行いました。(なのでお焼香を2回行う)
そして兄妹からの「送る言葉」の時間に・・・!
兄が、とても上手いことしゃべるものだから、かなりのプレッシャーになってきた・・・

 

認知症になるまでの母を第一の母とし・・・認知症になってからの母を第二の母としていた私にとって、第一の母を亡くした時に悲しむだけ悲しんだから、もう悲しくないと思っていたけれど・・・


そんなことはなかった。第二の母を失った時も悲しみが募って・・涙が止まらなくなってしまった。

 

第一のお母さん、第二のお母さん、あなたの人生は幸せでしたか・・・・?

 

私の送る言葉は、支離滅裂になってしまったけれど、その感情的なスピーチが?!家族にも伝わったのか?!


みな涙、涙となってしまいました。。

でもここで悲しみをすべて吐き出せて良かったかも!

 

そして、母は遺骨となり、我が家にやってきたのでした。

母の誕生日に思う。。

こんにちは。tsukkyです。

 

今日は亡き母の誕生日。。もう少し頑張れば85歳だったのにねぇ。。
私としては、母は90歳まで元気でいると思ったんですが。。。


人の寿命は本当にわからない。。

 

その母の告別式は2月12日(土)に決まったけれど、打ち合わせした日から3日ほど空いた。。
葬儀までの3日間・・悔いのないお別れがしたい!!いろいろ準備しようと思った。

 

まず、現実的な話からすれば、亡くなった日から24時間くらいは、施設で預かってもらえるのだけれど、葬儀屋さんから、8日の夕方に斎場に運ぶと、霊安室1日料金がかかってしまうから、施設で預かってもらえるのなら、9日の夕方にした方が良いと思いますと、提案していただいて。。
なるほど。。施設もドライアイス等、置いて下さるのでしたら、大丈夫です。と、そのドライアイスの対応も葬儀屋さんがやってくれました。

 

9日に、母を見送りの立ち合いで、また施設に行く。。
その日も兄と私だけ。
やはり、お見送りの日はさみしいのよね。。
いろいろ思い出があった施設ともこれでさよならです。。。

 

10日はすることもなかったから、テレワークで仕事した。
忌引きが1週間あるけれど・・家にいても仕事ができる環境なのに、メールもチェックしないなんて・・
まぁ、仕事してた方が気が紛れてよかったかも。

 

11日は祭日だったので、母と一緒に送りたい副葬品を買いに行った。
母は金沢出身だったので、和菓子も大好き。金沢の森八の羊羹が好きだった。日本橋三越にあることがわかって、買いに行った。
金沢に一緒に旅行した時も、森八のお店でお茶したなぁ~。いろいろと思い出がよみがえる。。(涙)

 

葬儀までの3日もあったから、準備もできてよかったけれど、その葬儀までの時間が長ければ、長いほど・・・当日はもっと寂しくなってしまうのではないか。。と、その日を迎えるのがちょっと怖かった私です。。。

 

葬儀屋と告別式の日程が決まった

こんにちは。tsukkyです。

 

前回のブログから半月たってしまいました。。そしてもう3月となってしまいました。
月日がたつのは本当に早い!!
母がいなくなったことも、受け入れることが出来、元気に生活しています。

 

前回は、母の施設に駆け付けて、1度帰って、また行ったところまででした。
その後、兄とも合流でき、葬儀について相談しました。

父の時は、何がなんだかわからなかったので、葬儀屋については、施設で教えてもらったところにしたのですが、(要は施設から近い葬儀屋)
そこがイマイチだったので、次は自分で選んだところにしようと決めてました。
気になった広告など、切り取ったり、取っておいたりしました。
そこで、兄と相談し、私の地元でやることにしました。

浦安市民葬祭」というところに決めました。

浦安市の斎場にはお式もできる施設があったんです。そこでお式を行う際のことを、まとめて手配してくれたのが「浦安市民葬祭」さんでした。


その日に打ち合わせを行い、お通夜はやらず、告別式だけを行うことにしました。
斎場が空いている日が2月12日(土)でしたので、その日に告別式を行うことになりました。

 

最初は、有名で大きな葬儀屋さんでもないし。。大丈夫かな?と少々不安はあったのですが、それがとても心温まる良いお式になったので、こちらで頼んで本当に良かったと思いました。

母、他界しました。

こんにちは。tsukkyです。


先日、看取り介護の話を書いたばかりですが。。。

2月8日の朝、母が天国へ旅立ちました。

病院から退院した後、具合が悪くなると(酸素飽和度が下がると)施設から連絡が来ることになっていました。


2月4日も電話がありました。。。


そして8日の朝、その日は会社に出社だったので、会社の最寄駅についた頃、施設からの電話が・・・
『また酸素飽和度下がったのかな?』とか思って、電話を取ったら。。。「意識が無くなりました」的な。。。。

 

えぇぇぇ・・・

 

会社にはとりあえず、出社し、上司に説明をして、トンボ返り。。。
家に戻ってから、施設に向かった。こんなご時世でも面会させてもらえる。ありがたい限り。(普通の面会は禁止中)
介護士の方が「昨日お風呂に入られたんですよ。」と声をかけてくれた。「綺麗になって行けたのなら。良かったです。」
母はまだ温かく、普通に寝ているようだった。口が開いちゃうらしく、手ぬぐいで縛られていたから、おたふく風邪をひいた時みたいになっていた。

 

希望的観測だったのかも知れないけど、看取り介護をお願いした後は、1~2か月は大丈夫だと思っていた。


でも、かなり衰弱していたのだな。。。


元旦に救急車で運ばれて兄と私を呼んだのも、納得できた。最後に会いたかったのだと思う。。
私もいっぱい会えて良かったと思った。

 

母と面会した後、兄に連絡を取ると、「そちらに行けるのは午後になるから、その時に今後のことを打合せしよう。」との事。


すぐ駆けつけるんじゃないのか。


幸い、施設で葬儀社が決まるまで(だいたい24時間くらい)預かってくれるそうなので、ほんと助かる。


午後まで施設で待つわけにも行かないので、一度家に帰ることに。

今日は同じところを、いったりきたりするのが多い日だ。

 

悲しむ暇もないまま、一度家に戻り、昼食を食べ、また施設へ向かった。
兄が来るまで、母の部屋で母の棺に納める物・・そう副葬品を整理することにした。。。

 

つづく

退院した日の夜中に救急搬送(;´д`)

こんにちは。tsukkyです。

 

前回、母が元旦に救急車で運ばれ⇒入院となり、1/22無事退院となったことを書きましたが・・

 

その日の夜、明日の用事が朝早いので、早めに就寝したところ。。23:50頃でしょうか。自宅の電話の音が鳴り響きました。


こんな夜中に電話が鳴るというのは悪い予感でしかない。。
電話を取ると、施設からの電話だった。「お母さまのご容態がまた悪くなりまして。。救急車を呼んでもよろしいでしょうか。

 

デジャヴ?

 

前にも同じような事があったような。。。

 

今日退院したばかりだけど・・・?

 

頭の中は一瞬「???」疑問でいっぱいだったけれど…

容態悪化と言うならねぇ。言う通り、救急車を呼んでもらうことにしました。


搬送された病院は、今日退院した病院と同じ。だけど病床が空いてないので、入院となると他の病院に移らなければならない。とのこと。
『えぇ~』と心で思ってみたけれど、そればかりは仕方がない。
処置をしてくれるのだから、ありがたい。

そして介護士さんから「また連絡します。」と言われたけれど。。。
ただ、待っているというのも、こんな時はいても経ってもいられない。。
なかなか指示の連絡が来ないので、私から介護士の方に連絡をして、病院に行けばよいか?確認した。
「来てください。」(後で思ったのだが、この時、病院の先生とのやり取りで家族に来てもらった方が良いか?確認中だったのかも?)
旦那はグーグー寝ているし、起こすのも可哀そうだから、私一人で運転していくことにした。

 

病院につくと、割とすぐ担当の先生から説明があった。
「今日退院さればばかりなんですね。。(←少し迷惑そう?)今は、自分で呼吸も出来、数値も安定しています。治療するところもないので、入院する必要はありません。ですので、施設に戻って大丈夫ですよ。」

との事。。。

 

「は。そうですか。」

 

看護師の方から、「施設に戻るのに介護タクシーを呼んでもらうかして、介護士の方と戻っていただければ、ご家族の方は帰ってもよいですよ。」と。。。

 

「え。そうなんですか。」

 

介護士の方は、介護タクシーを呼んだりしていたみたいですが、こんな夜中に来てくれる介護タクシーはなく、施設の車で母を連れて戻るとの事でしたが、施設にも運転できる人がいなくて、困っている様子でした。

介護士の方が、一度施設に戻って車を持ってくるまで、母を看てもらうことにしたのですが、介護士の方が施設に戻る足がない。。

「私、車で来たので、施設まで送りますよ。」
介護士の方は、恐縮していましたが、今の私にはそれくらいしかできることもないし、やらせて下さい。って感じ。

 

そして、施設まで介護士の方を送って、あとは介護士の方にすべてお任せして家に戻ってきたのでした。。。。

帰りの車の中では、自分の母親なのに、何も出来ず、人任せにしてきた罪悪感。
介護士の方の大変さ。こんな事がこれからも何度もあるのか。。等、頭の中でぐるぐると。。。。。

 

家に着いたのがAM2:30

 

今日の退院 ⇒ また救急車
そのことが、頭をぐるぐる。。。ベッドに入ってみたけれど、とても寝られそうにない。。

朝早い用事があるから、起きたけど、超寝不足。これじゃ、私の具合も悪くなりそうだ。

 

翌日、施設の方から電話をいただいたので、このような状況になった場合、今後どうするか?相談しました。
病院に行っても、入院する必要はないとのことでしたので、救急は呼ばず、施設内で出来る限りの対応をしていただき、もしもの事があった場合でも、それで大丈夫です。

と・・

 

それって、いわゆる「看取り介護」ということなんですね。
その承諾がとれたので、施設の方も安心した様子で、「わかりました。今日は口頭で「看取り介護」の承諾を得ましたが、後日、施設の担当医の元で、必要書類を頂くことになります。」

 

ここで初めて施設と「看取り介護」が成立したのであった。。

元旦に救急車を呼ばれ入院となる

こんにちは、tsukkyです。

 

このブログを更新するのもずいぶんと久しぶり。。
気がつくと、2022年になっていた。
今年もよろしくお願いいたします。

 

その2022年のスタート。元旦に母の施設から電話があった。こんな祭日に電話がくるのは良い知らせではないな。


電話を取ると、母の容態が良くないとのこと。痰がからんで、吸引はしましたが、一時、血中酸素飽和度が60%になってしまったので、救急車を呼んでよいか。とのこと。。


そりゃ大変だ。救急車の手配をお願いし、病院が確定した後に駆け付けた。
介護士の方が付き添って下さり、ドクターからのお話を待つ状態だった。兄も病院に駆けつけてくれて、コロナで会ってなかった兄とも久しぶりの対面が出来た。


こうやって家族で会えて良かったのか、どうか。。なんとも複雑なお正月だった。

 

ドクターからの説明は、命に別状があるわけではないし、施設に戻る選択もないわけではないけれど、誤嚥性肺炎の疑いがあるので、その検査&治療をするため入院をおすすめします。的な感じ。
それならば、入院してきっちり治してもらいましょう。ということで、入院することになった。

 

入院後の経過は良好で、施設には戻れそうとのことだった。コロナの影響で、面会は禁止。


その後主治医のドクターと面会し、今後のことについて話を聞いた。
やんわりと、今後どうしたいか?聞かれたけれど、要するに、病院的には、もう治療は終わり、食事も摂れるになったから、退院し、施設に戻れるだろう。
普通の病院での入院期間は終わりなので、施設に戻るしかない。
ということだった。。

 

その話を聞いた1週間後に退院の日がきまった。

 

そして、1月22日(土)無事に退院となった!!
介護タクシーも病院が手配してくれて、とても助かった。介護タクシーも以前利用したことのあるところだった。パンフレットをみると、随分と規模が大きくなったみたい。


需要があって儲かってるのかな???

 

とにかく、無事退院でき、施設に戻ることができて良かった。。。

 

が、しかし。。ホッとしたのも束の間?

 

やれやれ。と思ったところ・・・・

真夜中に施設からの電話が響いた。。。 つづく

リモート面会で久しぶりに母に会えた!!

こんにちは。tsukkyです。

 

また随分と更新していなくて、久しぶりの更新となってしまいました。

 

コロナ禍でまったく母に会えない日々が続いていましたが・・・

母の入所している施設でもリモート面会を行えるシステムを導入したそうで。

以前検討されていたのは、私たちが施設まで行って、そこでリモート面会をやるとか・・意味不明のリモート面会でしたが・・

LINEを使ったシステムだったので自宅からリモート面会ができました。

 

わざわざ施設まで行って、リモート面会すると言うのもかなり謎でしたが・・(^^;)

無事にスマホを使って面会できるようになって、本当にありがたかったです。

 

まず、LINEでそのシステムを友達登録し、施設から付与されたIDとPWでログイン。
それから面談の日程を予約して、当日指定のURLからリモート面会開始!

 

おぉ!母が写ってる!!

最初、母はどこを見て良いのか?わからないようでしたが、施設のスタッフの方が誘導してくれて、私だと認識すると(←ちゃんと娘と認識されたかは・・・???)落ち着いたようで、ちゃんと画面に向かって、意味不明のことを話しだしました。

 

一応私の質問には「うん。」とか「そうだね。」とか返事をしていたので、このリモート面会は、バッチリ成功!!

 

ほんと、このリモート面会、とっても良いです。

何が良いって、まず、移動時間の短縮になる!!

我が家から施設までは近い方ですが、いざ行くとなると、支度したりいろいろ準備があるし、そこそこ時間を取るのが大変でした。

あぁ、お母さんのところに行かなくちゃ。。施設の人から「冷たい娘」と思われてしまうかも・・・と、義務感満載で行ってた面会も、リモート面会を済ませたら、気分スッキリ!

義務感を果たせたからか・・・?!

 

面会時間は15分なので、今までの移動時間などを考えると、とても効率が良いと思う~!!

 

システムの使い勝手も良かった!

どこのサービスかと調べてみたら、コニカミノルタさんがやってるサービスなんですね。

www.konicaminolta.com

 

まぁ、実際に会えないと言う、寂しさはありますが・・今のご時世、このようなシステムがあるのは本当に助かること、この上ないです!!!

 

次の面会をいつくらいにしたらよいか・・・

悩みましたが、今週末が父の命日なので、来週面会の予約いれときました。

でも、準備とか施設の人も大変なのかもしれないし・・・月1くらいのペースで良いんですかねぇ・・・???

 

 

義理を果たすのには、どれくらいのペースでリモート面会をやったら良いものか・・

ドライな娘はいろいろ悩んでしまいます(ノ∀`*)ペチ