明日は我が身!?介護は突然やってくる!

両親ともに同じ特別養護老人ホームへ入所!?それまでの経緯を綴ります。これから介護をする方のお役にたてたら嬉しいです。

父の症状もさることながら、それと同時に母の行動も???同時進行ですすむ高齢者介護

こんにちは。tsukkyです。

今日は友達が家に来ていました。

親の介護の話などもして、彼女のお父さんは病気で具合が悪くなって、特養を申し込んでいたけれど、なかなか順番が回って来なくて、ショートステイを繰り返し、その間に癌を患い、病院へ入院。

その後、特養が決まった頃、病状が悪化してお亡くなりになったそうです。

 

私が、親の病院や施設が変わるたびに、情がうつってしまい、切ない思いをする。

と伝えたら、彼女がお父さんを介護していた時、施設もいろいろあって、対応がいまいちのところは、次が決まるとホッとしたし、ちょくちょく変わっていたら、慣れっこになってしまったと…

 

そう考えると、私の両親のお世話になった施設は良いところが多かったのかも知れないと思いました。

親切で優しい人たちがいたから、別れが切なかったのかな。。。と。


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 平成26年の話

この年のGWに私たち夫婦と両親とで石川県に旅行に行き、母の喜寿の祝いも出来、父も元気になったかと思われたのですが…

そして、2人でリハビリもかねて、デイサービスに行くようにしたものの、行ったり、行かなかったり。。。

行かなかった方が多かったでしょうか。

デイサービスに行ってくれれば、私も安心ですが、行かなかったりすると、それだけでイラっとするし、迎えに来てくれた施設の方や、ケアマネの方に申し訳ないような気持ちになってしまったものです。

 

本人たちにしてみたら、出かけたくもないのに、行かなければならないんだ。ってな感じだったのでしょうが。。。。

 

そして、また父の発作がおこると、2人で勝手にいろいろな病院に行くわ、救急車は呼ぶわで。。その対応に追われて大変でした。

 

父は個室のある施設のショートステイには、行ってくれるようになり、その点は良かったのですが…

父がショートステイに行ったある日、母から電話がかかってきました。

母「お父さんがいないのよ!黙ってどこかに行っちゃったのよ!!」

私「今、ショートステイに行ってるんだよ。だから黙って行ったわけじゃないよ。」

 

父がショートステイに行くと、そんな事を言い出すことが多くなりました。

「お父さんがショートステイに行ってることを忘れてしまってる?!」

あれだけ、父がいると掃除も出来ないし、何もできない!と言っていた母なのに…

父がいなくても、掃除をしている気配もない…

 

そして、お父さんがいないから夜ご飯は作らなくてもいいし、私とどこかに食べに行こう。と言っていても…

 

夕方電話がかかってきて、「お父さんがいないのよ。ご飯も作ったのに、どうしたのかしら?」と…(@ @;)

 

あれだけ夕飯を作らなくていいと、言ったのに・・・・・

 

仕方ないので、私がその夕飯を食べに行くと、すごい量のおかずが…!!

どんだけ作ってるの・・2人しか食べないのに。。。

 

あきらかにおかしい…

 

そして、あまりに散らかっている実家を見るにみかねて、私が片付けをしていたら、父に飲ませるはずの薬が、大量に出てきたのでした。

 

私「これどうしたの…?!」

母「もうお父さんに飲ませる薬がいっぱいあるから、わからないのよ!大変なのよ!」

 

母は、父に薬を飲ませることもわからなくなり、いつぐらいからか?

父は薬を飲んでいなかったのでした。。。。

 

そのことを、ケアマネに相談し、父の主治医にも報告してもらいました。

主治医から、薬を飲んでないなら、具合が悪くなって発作の様な症状がおこるはずだ!

と…(;o;)少し怒られた~

 

一見普通に見える母でしたが、そんなところに認知症の症状が現れ始めてきていました。。

 

母の事も心配でしたが、これ以上救急車を呼ばれたりしては困るので、薬を管理してくれる訪問看護、薬を定期的に届けてくれるサービス、お医者さんが自宅に来てくれる訪問診療をお願いすることにしました。

 

親の介護 ポイント!

介護認定がおりたら、ケアマネと打ち合わせなどを繰り返して、良いケアプランを立ててもらいましょう。

私は初めてのことで、途方にくれる毎日でしたが、ケアマネからいろいろな介護サービスを提案してもらい、こんなサービスもあるのか!と、目からウロコでした。

私の両親は介護サービスの恩恵に授かり、いろいろと生活改善することができたと思います。

大暴れして元気になった父を、その勢いのまま?!旅行に連れてってみた~正解!!

こんにちは。tsukkyです。

今日は仕事の帰りに実家の近所に用事があって、行きました。

今は、誰も住んでいない実家に行くのは寂しいですし…人が住んでない家ってだんだん荒れてきますね。。

もともと、母が入院したと同時にその実家もすごいことになってしまうんですが。。。


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 平成26年のゴールデンウィーク

父がショートステイ先で大暴れして?!帰ってきた事件から、別人の様に元気になったので、その年のGWに、私たち夫婦と、両親とで旅行に行く計画をたてました。

両親の故郷、石川県に連れていってあげたからです。

 

父も母も石川県に帰れるというだけで、本当に目が輝き、元気になります。

とにかくそれを目標に!?二人とも元気に暮らしてもらいたいと願っていたのですが、効果てきめんでした。

 

その頃はまだ北陸新幹線が開通していなかったので、往復とも飛行機で行きました。

二人とも杖をつきながらでも、自分の足で空港まで行けたんだなぁ。。とたった数年前の話なのに、不思議な感じがします。。。

飛行機会社(ANA)のサービスも素晴らしく、事前に連絡しておくと、父を車椅子に乗せてくれて席までちゃんと案内してくださいます。

CAの方に車椅子を押してもらい、父も上機嫌でした。

フライト中もなんの問題もなく無事到着。

 

まず和倉温泉

空港からレンタカーを借りて和倉温泉まで向かいます。

宿では、母の喜寿(77歳)のお祝いをしてくれました~♪

翌日は金沢で親戚に会ったり、お墓参りに行ったりと、無事2泊3日の旅を終えました。

 

父の寝たきり状態、ショートステイで大暴れした事件等。。

大変な事があったけど、そんなことがあったから、家族で旅行にでも行ってみるか!!と思えたような気がします。

 

もし二人とも元気でピンピンしていたら、きっとそんな話も持ち掛けなかったかも・・・

皮肉なものですが、両親からのサインだったのかなぁ~とか思うようにしています。

 

介護問題がなかったら、今この年になって、そこまで両親と向き合うことはなかったかも。

そして、それから私と両親との濃密な日々が始まるのです・・・

 

親の介護 ポイント!

親の介護問題がなかったら、ここまで親と向き合うことはなかったと思います。

やはりそれは、親が終焉に向かう前に、私に送ったサインなのではないか?と思うようにしています。

介護って辛いイメージがありますが(実際辛いですが…)最後に親との時間を過ごすように。と神様がくれた時間なのかなぁ~とか思うようにして…

なぜ私だけがこんな目に…などと言うような考えはなるべくしないようにしています。

(時たま思ってしまうこともありますが…^^;)

母の介護認定を審査してもらうも、その時はいつも以上の元気さ!ピンピンさ!なんなんでしょうね。。

こんにちは。tsukkyです。

花冷えと言うより…すっかり冬に逆戻りと言った寒さですね。。
東京は雨も降って、せっかく満開の桜も散ってしまいそうで残念です。

 

今日は父が居酒屋を経営していた時代にお世話になった方から、私の携帯に連絡がありました。

その方も、もうご実家(滋賀県)の方に戻られたのですが、今でも父を気にして下さり、とてもありがたいのです。

今年の初めに東京にいらした時に、前父が入院していた病院にお見舞いに行った際に、すでに転院して会うことができなかったので、連絡をくれたそうです。

今、入所している施設を連絡しておけばよかった。。。

その方もご高齢なのに、申し訳ない気持ちになりました。

 

両親も自分がお世話になった人に、自分のことを伝えようにも、出来ません。。

私がかろうじて知っている方には、こうして連絡を取ることも可能かも知れませんが、親の交友関係までは知る由もなし。。。

そうゆうことを目の当たりにすると、やはり、終活というか…なんというか…そういった準備(エンディングノートなど?)しておくのに越したことはないのかな?と思います。

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ショートステイ先で暴れまくり?!施設からもお手上げ状態で、無理やり帰宅してきた父は、それから数日間、別人の様に元気になり、自分一人で床屋に行くわ、出かけたり…

父にしてみたら、俺を、勝手に老人ホーム的なところに入れやがって!!

まだそんなところの世話にはならない!!

ってな感じの抵抗だったのかもしれません。。

 

私は、アルツハイマー認知症と診断された母のことも心配で、なんとか進行を遅らせることはできないか?いろいろと試行錯誤を繰り返しました。

 

ドクターからも、デイサービスに通った方が良いとのことだったので、介護サービスを受けられるように介護認定を受けました。

 

よくある話ですが…だいたいこの介護認定を審査する方が来ると、「元気はつらつ!」

いつもより、健康体になってしまうのはなんででしょうかね?

 

母にも、介護サービスを受けるには、具合悪そうにして、介護を受けられるようにしないといけないよ~と何度も説明して、本人も「わかってるわよ」と言っていたのに…!

 

人間の性なんでしょうか…?!

 

審査と言われると、なんか良く思われたい。良い結果を出したい。と本能で思ってしまうのでしょうか?

 

当日はぴんぴんとして、審査員の方に言われるとおり、てきぱきと動く動く。。

そんなこともあるかと思い、普段気になる症状を一覧にして、審査員の方に説明しました。 

 

結果はどうなることやら?

その甲斐あってか…?!「要支援1」となり、介護サービスを受けられることとなりました。

 

平成26年4月 

そして地域包括支援センターの人と相談して、父と一緒に運動等(リハビリ)を行うデイサービスに行くことにしました。

父もしぶしぶでしたが、あくまで「リハビリ」と言うことを強調、母と一緒に。と言うことでなんとか行ってくれることになりました。

 

とりあえず、やれやれ…と思ったのもつかの間?!

これからまだまだいろいろな事が起きるのでした。。。

 

親の介護 ポイント!

親の振り見て我が振り直せ?!

親の介護を通じて、自分が高齢になった時は…といろいろ考えさせられることが多くなりました。

親もまさか自分がこんな風になるとは思ってもみなかったことでしょう。

いつまでも元気でいると過信しすぎるのは禁物と思いました。

転ばぬ先の杖。。?!

私には子供がいませんので、世話をしてくれる人もいないし…自分のことは自分でしっかりと考え、出来るだけ誰にも迷惑かけたくないなーと思っています。。

 まず元気なうちに、大切なことは、エンディングノートなどに残しておこうと思ってます。

人生とは。。?人間の寿命とはなんなのだろう…?!いろいろと考えさせられた平成25年…

こんにちは。tsukkyです。

 

自分の親に介護が必要になった時…

そう…本人だけでは、生活が困難になり、誰かしらの介助が必要になった時…

誰に親の介助を頼みますか…?
自分自身が親の面倒を見ますか…?

高齢者の親を持つ者であれば、漠然と考えることもあるかと思います。

 

少し冷たいようではありますが…私自身は早く実家を出たいと思っていたので、これからまた親と同居と言う選択肢は全く考えていませんでした。

 

もちろん、両親の事は心配ですが…

 

父がまだ実家にいた頃。。
仕事帰りに実家に寄ったら、二人とも元気に「ナツメロ特集」のテレビを見ていた…
こんな元気な父を見たのは久しぶりだった。
そして、たまたまこれからの生活について話していた。

 

父「子供らには迷惑はかけたくはないけど…、もし一緒に暮らすとしたら、〇〇〇(←私の名前)のところだろうなぁ~」
母「そうですねぇ~。お兄ちゃんのところには行きたくないねぇ。。」

 

その会話を聞いて「ギョッ!!勝手に決めるな!(@@;)」と思ったけれど…

 

今思えば、これからの生活について両親の意見を聞いたのはそれが最後となってしまいました。。


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両親が仮移転先に引越した平成25年は、私自身にとっても大変な年でした。
自宅の引越しも大変でしたが、職場もフロアを変わることになり、公私ともに引越しに追われてたような(^^;)


それでも、職場に面白い課長がいて、その課長を含め、みんなでカラオケに行ったり、スキーに行ったり楽しめる時間も作っていました。

平成25年の12月のある月曜日…普通に会社に出勤すると、その課長が亡くなったと聞かされます。

えぇ?今週末にみんなでスキーに行く予定なのに、悪い冗談では???

でも、それは冗談でもなんでもなく、本当の事でした。

いわゆる突然死と言うものでした。まだ52歳の若さ。

信じられない思いでしたが、その日から3年以上たっています。

 

その課長の死を思い出すと…人間の寿命ってなんなのかな?って思います。


私の両親は、すでに誰かの介助がないと生きていけない状態ですが、それでも元気に生きています。それでも人生を全うしなければいけません。。。

 

まだ元気でこれからだったのに、終わる人生。。。


施設でお世話にならなければ生活できない人生。。。。

 

なんなんでしょうねぇ。


年も明け、平成26年
母の心労をこれ以上悪化させないよう、実家の環境をなんとかしないといけません。

ケアマネから、費用もあまりかからない老人ホームを紹介してもらい、兄に見学に行ってもらいました。
その頃は、寝たきりと言えど、まだ元気だったので、老人ホームなんてまだ早いのでは…?と、兄も私も躊躇してしまいました。

 

それと同時に老健の申し込みもしました。すぐに空きがあるわけではないので、それまでショートステイを利用することにしました。

 

デイサービスでもあの調子だったのに、泊まりなんて大丈夫だろうか…?!
不安はよぎりますが、今後、施設にお世話になるにしても、すこしずつ慣らしておかないと…?!

 

母の検査もありますし、家を空けることが多くなるので、その期間ショートステイを組むことにしました。

 

どうなることやら…

 

親の介護 ポイント!

介護初期の頃は、老健、老人ホームなどと聞くと、ビビってしまい、まだそんなところへは早いのでは…

親を老人ホームに預けるなんて…

いろいろな思いが駆け巡ります…

転ばぬ先の杖ではありませんが…

老健に申し込みしても、すぐに入所できるわけではないので、いざ入所したい時には時間がかかってしまい、あまり意味をもたなくなってしまいます。

まだ早いのは…?!と思っても、高齢者はちょっとしたことで状態が悪くなることがありますので、早めの対処をおすすめします。

引きこもりなのに、発作が起きると病院には行くという…でも大したことはなく、その発作に振り回される日々でした。。

こんにちは。tsukkyです。

今からさかのぼること4年前…

実家の団地を建て直すことになったので、仮移転先に引越しをした両親。

同じ団地内の引越しでしたが、高齢者には一大事だったのでしょうか。
歩いて行けるくらいの距離。間取りもほとんど同じだったにも関わらず、それを気に両親の様子がどんどん変わっていってしまうのでした。

 

父の引きこもり生活にも拍車がかかり、日中もカーテンを開けず、ふすまにもガムテープなどで目張りまでしだす始末。

引越し前の住居は、ベランダ側が道路、その向こうが小学校だったので、あまり人目を気にすることもなく過ごせたのですが、仮移転先は、向いに住居があり、ベランダ越しに人目があるのが気に入らなかったようです。

もともと神経質なところもあった父ですが、ひょっとしたら認知症の症状も入っていたのかも知れません。
なにか気になると、怒鳴るし、具合が悪くなると(発作のように)病院に行くと。。言って聞きません。

そんな環境におかれていたから…母も認知症になってしまったのかも(涙)


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母からの電話が恐怖でした。

母「お父さんがまた具合が悪くなって…病院に連れて行かないと。。。」

私「今日は日曜日だから病院はやってないよ。明日連れて行ったら?」

母「(後ろから父の怒鳴る声)でもお父さんが病院に行くと言うから。。救急車を呼ばないと。。」

私「やめてーーー救急車だけは呼ばないでー」

母「だって。。。」

 

電話で救急車を呼ぶな。と何度も言ってもダメでした。。
そして救急病院先から電話が来て、私か兄が両親を引き取りに行くと言う…

それでも、その救急病院で入院してくれれば良いのですが、とくに入院するほどではない。と言うことで帰されてしまう始末。。

地元の診療所も、しょっちゅう行くので、迷惑がられ、リハビリに通っていた隣駅の総合病院でも、ちょっとした有名人の老夫婦になっていたようです。
いわゆる「出入禁止」ってやつでしょうか…?!

病院から電話がかかってきて、リハビリ以外では来ないでくださいみたいな。

 

わかってます。。

わかってますけど、両親が理解できないんですよ(涙)


その頃、その「出入禁止」的になってしまった、父がリハビリで通っていた総合病院も建て直し→移転のため休業に。。。


父はリハビリに通う事すらなくなってしまったのです。

 

移転後、その病院は、紹介状がないと診察を受けるのに5,000円くらいかかる立派な病院になってしまい、リハビリも受けられなくなりました。

 

年寄りに優しくない病院。。。(皮肉にも?後に救急でその病院に運ばれてしまうことになるのですが…)

 

とにかくこのままだと、母もおかしくなると思い、それだけは阻止しなければ!

と、父のことをケアマネに相談するのでした。。。


親の介護 ポイント!

病院では、はっきりした治療を施す病気じゃないと、軽く門前払い的な態度をとられてしまうことがありました。。(お忙しいでしょうから仕方ないと思いますが)
親の異変に子供もパニック!!そんな時は包括地域支援センターやケアマネージャーに相談しましょう。

介護する側も何とかしなければと、パニックに陥りがちです。

そこはやはりプロ相談すると、いろいろとアドバイスを頂けます。

家族だけで抱え込まないで、プロに委ねるのは良い事だと思います。

母の物忘れ外来受診&あれほど病院嫌いだった父が、病院に行くわ、行くわ、終いにゃ救急車まで呼び出す始末。

こんにちは。tsukkyです。

今日から新年度ですね。私の勤めている会社でも今日は入社式でした。

フレッシュな新入社員の人たち!これから希望に満ちた人々!!

若いって素晴らしい!!羨ましです~(^^;)


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平成25年10月母を「物忘れ外来」に連れて行く

実家の団地建て替えに伴う、仮移転の引越しも終わったような終わらないような状態でしたが…

とにかく言動が怪しい母を「物忘れ外来」へ連れて行かなければ!と、お茶の水の順天堂医院「脳神経内科」に連れて行きました。

www.juntendo-neurology.com

受診の時間が朝早かったので、前日実家に泊まることにしたのですが、その泊まった日が大変。。。

父はいつも通り、晩酌が止まらず…酔っ払い過ぎて、その場で眠りだし…

それに母はヒステリーを起こすわ。

やっとこさ、父を布団のところへ連れて行き、寝たかと思うと、夜中に母がギャーギャー騒いでいるから、何事かと思ったら…

父が失禁してしまったと…(@ @;)えええええぇぇえ~

 

なんっちゅーこと…

 

まぁ、失禁と言ってもちょろっと、モラした程度だったので、パジャマと下着を着替えさせて…なんとか寝ましたが…

(それから、父の布団に敷く漏れないシーツやら、パンツ型のオムツ等、いろいろ買いました。。)

 

改めて、すごいことになってるなぁ。。。と…

 

そんな父を一人置いて、母と病院に行くのも心配でしたが…

なんとか母を順天堂医院に連れて行きました。

当日は、認知症のテストを受け、脳のCTを取ったり、いろいろな検査をしました。

 

認知症のテストを受けた後、母は「ばっちりだった!」と言ってましたが…

 

その後、先生からの診断では、認知症の疑いが濃いと言われ…(^^;)えぇーー

 

とりあえず、脳のCTでは異常はなしとのことでホッとはしたのですが、脳波の検査もした方が良いといわれたので、そちらの予約をお願いしました。

その検査の予約が取れたのが平成26年の2月なので。4か月も先…(>_<)

 

でも、母と話したりしてると、全然普通だな。と思うことも多く。。

やっぱりCTでも異常なかったんだから、ストレスで物忘れが激しくなっているだけじではないか?とか思ったりもする私でした。。。 

 

父の状態も不安定に

その頃、父の状態も不安定で、あんなに病院嫌いだったのに、何かあると病院に行くー!病院~~と発作がおきます。

 

ちゃんと毎週のように、自宅近くの診療所で見てもらって、薬も処方してもらってますからっ!!

 

母も正常な判断が出来てないので、それに合わせて、いろんな病院に行くわ。救急車は呼ぶわ。。で…

 

もう大変~(@ @;)

 

父はその時、診療所で処方してもらってる薬が山ほどあったのですが、それを朝、昼、晩、寝る前と仕訳をして管理していたのが母だったのです。

(その管理も大変だ。。と愚痴をこぼしていたことがありました)

 

後にわかったことですが…

 

ある日、父の薬の袋(手つかず)が山ほど出てくるのでした…

 

母はもう、父の薬の管理ができなくなっていたようです。

 

父は薬を全然飲んでいなかったから具合が悪くなっていたのでした…

 

親の介護 ポイント!

とにかく、認知症の発見は早ければ早い方が良い!

と言うのは本当だと思いました。。少しでも怪しいことがあったら、早めに「物忘れ外来」を受診することをおすすめします。

発見が早ければ、介護する側の心構えや、これからの対策、いろいろと準備することができます。

そして、認知症の進行を遅らせることも可能だと思います!

 

薬の管理も大切です。

「お薬カレンダー」など、高齢者にもわかりやすいような管理方法を考えて飲み忘れを防ぎましょう~

そうしないと、救急車を毎度呼ぶことになると、そのたびに家族が呼び出され大変なことになります。。。トホホ(涙)

 

老朽化した団地の建替えにより、仮移転先に引越し!その引越しで更に親の異変が発覚!!

こんにちは。tsukkyです。

今日はとくに予定もなく時間もあったので、母の入院先の病院に行ってきました。

入院費を平日&土曜日の5時までに病院の窓口で支払わないといけないので、それも合わせて…行ってきました。

5時までだと仕事帰りでは間に合わないので…(^^;)ふぅ。。

自宅から電車で行くと1時間弱かかり、車だと45分くらいなので、車で行きました。

まぁ、一人ドライブがてら行ったのも良かったです。

車の免許を取ってて良かったなぁ。。としみじみ思いました。

その免許を取れ、取れ、うるさく言ったのは父でした。

今思えば、ありがたかったですね。

 

団地の建替えのため仮移転の引越し

両親が住んでいる都営団地は(私の実家でもあります)昭和42年~43年に建てられた古い団地で、老朽化が進み、いつ建替えするのか、ヤキモキしていました。

橋を渡った隣町は再開発が進み、超高層マンションが立ち並び、商業施設も充実…
なのに、両親の住んでいる地域は、高齢者が居住する老朽化した団地が立ち並び…どうしたって、同じ「区」とは思えない感じです。
同じ世代(高齢者)が残ってしまったから、こんなになってしまったのでしょうか(涙)

でも、やっと平成25年に仮移転が実施されることになり、私の実家もその仮移転に向けて引っ越し準備を進められる状態になったのでした。

父は相変わらずの寝たきりですが、母の方はまだ元気だったので、その仮移転の件は母に任せていました。
仮移転にあたっての説明会や、引越し業者の手配などは近所の方と一緒にやっていたようです。

 

その引越しの日程が10月だと聞いていたので、いつ引越しの準備をするのかと?
何度か母に尋ねると「おまかせパックだから大丈夫なの。」と。
確かに最近の引越し業者はそうゆうサービスがあるから大丈夫なのかな?とは思っていたのですが。

 

それにしたって、こんなに物が多いんだから、これを気に片付けて、少し断捨離でもすればいいのに…

 

この年代の人は物を捨てないからなぁ~

 

そして…引越し当日。私も手伝いに行きましたが…

これから、引越し業者が来るというのに、二人でどこかへ出かけるような感じ。。

 

どこへ出かけるの?

 

お父さんのリハビリに行かなければいけないのよ。

 

何も引越し当日にリハビリに行かなくてもいいじゃないかっ!!!

 

自分たちの引越しなのに、私に全部任せるんかーい!!!

 

かなりイラっときましたが、おまかせパックですから…

引越し業者に任せましょう。。

 

「おまかせパック」だとしても、引越しする状況に見えない家の物をよくパックしてくれたと思います。引越し業者さんすごいです。

 

リハビリから両親が帰ってきたので、母と引越し先で必要なフロアーマットやら、食器棚やら買いに行った時のこと。

さんざん、一緒にマットやら食器棚を選んだのに…

 

買い物から帰る車で「食器棚は私からのプレゼントだよ!」と告げると

 

母は「いつ食器棚なんて買ったのよ?」

 

私「え…?!」(@ @:)

 

と言うことは…きっと引越しの日も覚えていなかったに違いない…

 

その移転先の仮住居に引越してからが、かなり大変なことになります。。。

 

そして!もうすぐ、元住んでいた団地の跡地に新しい団地が完成いたします!

 

私の両親も、狭くて汚い団地に長年住み耐えてきて、やっとここまで我慢した甲斐があった!
もう少しで新築の綺麗な団地に住み替えることができる…!と、言うところまで来ていたのに…
(きっと)その家に2人揃って(あるいはどちらも)暮らすことはないと思われるのでした…(号泣)

 

親の介護 ポイント!

認知症の人は、変化が苦手です。

環境が変わると、認知の進行が進むというのは、あると思います。これからそこら辺をブログでも綴っていきますが…

住まいを変えるとか、そうゆうのは出来るだけ避けた方が良いと思われます(^^;)