こんにちは。tsukkyです。
父の最後はあっけないもので、とても良い特養に入所したのに、あと数日で1年と言う前に亡くなってしまった。。
長いようで、あっという間だった父との介護生活・・・
2年前に、救急搬送されてから家には帰れなくなったけど・・家で寝たきりの頃より元気になって、人間らしい生活を取り戻した父。
これから老いていくのだから、いつかはこんな日がくるとは思ってはいたけれど・・・どんどん元気になっていくのを目の当たりにしていたから、これからまだまだ長生きするのではないか。と、思っていた。
多少元気な頃は、デイサービスに行くのも嫌がって辞めてしまい、ショートステイもなにか気に入らないことがあって、怒り爆発で家族を呼び出し、途中で迎えに行くハメになった。。。
アルコールもほどほどに。と言ってもまるで聞かず、酔っぱらっては、母に酷い事を行ったり、暴れてたりした横暴で困った父親だった。
本来の父はそんな人だったけれど、2年前に救急搬送され、失語症になり言葉がしゃべれなくなってからは、しゃべれないからか?
なんか人格が変わってしまったよう。。
私はその父を「第2の父」と思っているww
その時に本来の父は私の中で亡くなっていたのかも知れない。。
それまでは、本当に困った父親だったけど、「第2の父」はなんだか可愛かった。
会いに行くと笑顔になり、嬉し泣きで顔をくしゃくしゃにしていた。
脳梗塞で右がマヒしてしまったけど、左手の力がすごい。左手で握手するとものすごい力だったので、手が痛かった。。。
「第2の父」になってから、母が(認知症の症状もあり)困ったさんに。。
母にイライラしていたので、その頃は、お父さんの方が可愛いと思えた。
可愛い「第2の父」には長生きしてもらいたかった。。
でもそれが父のためなのか?は、わからないから、これで良かったのかな。
しゃべれない。意思の疎通ができない。施設での生活。。。
どう考えても本来の父は我慢できるハズがない。。
介護日記を書いているけど、お世話をしてくれたのは、病院や施設の介護士の方。。。
私は何もしていない。。
いろいろな状況において、ラッキーが重なったのだと思う。。
父にとっても望んだ終期であったかどうかは?定かではないが、決して悪くない終期であったと思う。。。
第2の父、さようなら。
そして、「第2の父」を人間らしくしてくれた、介護事業所の方、病院関係者、施設の方には本当にお礼を言いたい。
本当にありがとうございました!!